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    ★★2012年09月01日(土)うかつ
    ★★2012年09月06日(木)アキアカネ
    ★★2012年09月08日(土)フィルター、下弦直前
    ★★2012年09月11日(火)サル山、放物面鏡
    ★★2012年09月12日(水)天上に伸びるヤコブの梯子
    ★★2012年09月15日(土)富裕層?、暑さの記録日々更新、スーパーミニ、兄弟?親子?
    ★★2012年09月17日(月)デモ?、歴代カメラ
    ★★2012年09月20日(木) コ ミヤマ カタクリ
    ★★2012年09月22日(土)闘争、月齢6.2射手座宮24.112
    ★★2012年09月25日(火)百年の計
    ★★2012年09月27日(木)気温低下中

★★2012年09月01日(土)うかつ

 満月近くは、満月しか撮るものが無いような状況ですし、一番の使いやすさだった25センチ反射が引退せざる終えなくなってモチベーションが下がった今、やるべき事は掃除です。掃除は一般的な掃除の他に、レンズ面の美化です。放って置いて、例の反射鏡のようになってしまい、これ以上の引退者が出たら大損です。
 レンズ掃除の最初は、1番大きなレンズからです。決まっているわけではありませんが、値段順に始めました。直径が13センチありますので、一番時間がかかります。先ずはブロアーでゴミ・ホコリを吹き飛ばします。使用時以外はふたを閉めていますので、見た目はキレイです。しかし、見えないからといって無いとは限りません。一応、型どおりにやります。勿論、表面を注意深く観察して、異常が無いかを見ながらです。次に無水エタノールとシルボン紙を使って拭いていきます。拭くといっても、ゴシゴシ磨くわけではありません。レンズ面にシルボン紙を付けながら進行方向へシルボン紙を巻き取ります。レンズ面のある箇所を拭いたシルボン紙は2度と使わないという贅沢な拭き方です。その昔は、これに四塩化炭素を使いました。こちらの方がカビの胞子を根こそぎにできましたが、エタノールでも殺菌はできます。その意味もある操作です。力を込めて拭くわけではありませんが、滑らかさが必要です。一見キレイでも、息を吹きかけてみて、曇る状態が一様でなければ、再びふきます。曇り具合が一様になっていれば、一応合格です。
 この他の屈折機は、既にお蔵入りしていますので、次はファインダーと双眼鏡、そして接眼部の光学系部品で締めとなります。いずれもふた付きのものは、問題なくキレイになっていきますが、一番良く使っていた反射鏡用のコマコレクターの表面にカビらしきものを発見しました。手が入りにくいところは、カメラの映像素子直前のフィルターを掃除するための棒にシルボン紙を巻いてつかいます。それで擦ると、難なく取れました。コーティングを溶かされている様子も無く、無事だったようです。接眼鏡もほとんど使用していないので、キレイなままです。
 天候不順な状況に加え、温度の上がる天文ドームで、実際の被害が反射鏡のみだったのは不幸中の幸いです。光学系の全てが没になるという最悪の事態もあり得ることだったのです。まあ、夜露に晒してビシャビシャになるような使い方をしている移動撮影家の方々に比べれば、状況は格段に良いのですから、うかつであったのです。

 領土絡みで日本海、東シナ海に面した国々がドタバタしていますが、そんな事より、やはり北朝鮮が問題児ですね。12月辺り、つまりこの冬に事件の匂いが出ています。建国を9/9としても9/12でも、日蝕とその後の新月が微妙な位置を刺激しています。食料が無くて暴動が起こり体制が崩れたり、軍部が遂に支配権を握ろうとして動き出すとかになれば、大ごとですね。どこかの島を砲撃するくらいだとか、あるいは何事も無く過ぎれば良いのですが。


★★2012年09月06日(木)アキアカネ



★★2012年09月08日(土)フィルター、下弦直前

 二大政党でヘッドの取り合いをやっているのを見ると、泥舟の船頭を取り合っている様にしか見えません。日本というシステムを制御することができなくなったシステムの末期でもありますが、他に制御システムが無いので、実に困ったものです。何でも関西のほうで、口当たりの良いことをいって人気を取っているヤツだって、なあに一つ穴のムジナ。都合が悪くなりゃあ、こんな顔でしたかいと来ますわなぁ。くわばらくわばら。

 ソフトフィルターを1枚、手に入れました。手持ちのものより一段効果の強いものだということですので、確認をしようとしましたが、昨日までお預けでした。確かに効果が強いので、嬉しくなって、次々と撮ってしまいました。星座写真を撮っても、等級の判らないような、つまり、目で見たときは明るさの違いが歴然としているのに、影像では、飽和して露出オーバーとなった点がほとんどにじまないというデジタルの性能の高さに起因する現象に嫌気がさしていたのです。ちゃんと撮れない、というか、デジタルカメラより人間の方のダイナミックレンジが広いという事なのでしょう。その点、フィルムがすぐれているかといえば、そうでもありません。ダイナミックレンジも広いわけではありません。単に星ではにじんで写るから、明るさを大きさで表現しやすかったというだけの話です。で、デジタルの表現に対する特効薬がフィルターにありという事に落ち着きました。これらの状況は、2年前にページに入れましたが、更に追加ということでソフトフィルターの項目を増やしています。
 次に幾何光学部門も、今少し増力しようと思い、作成しています。球面鏡はできたのですが、次の放物面鏡でのろのろしています。
 そんな中で、庭木の一部に枯れたものが出ていて放置していました。枯れたものは根から掘り出すものなのですが、かなり残っています。というのは、最初に掘り出したものが、とんでもないくせ者で、掘り出すのも大変な思いをし、掘り出した根っこももの凄く大きくて難渋したのがトラウマになってしまったのです。枯れてしまうのは、数ある中で出て来るものですが、南側の境界近くの目隠しに植えたものが、3本ほど逝ってしまっていました。その内、緑の部分が完全に無くなってしまったものを、掘り出しました。根っこが深くなくて、根付きが悪かったように思われます。端っこですので、ここまで水まきもしませんし、冬は隣家の雪が押し寄せてくるような場所です。ここをどうするかは、よく相談をしないといけません。
 簡単だったとはいえ、それでもシャベルを使い、掘り出してということで、かなり疲れました。パソコンの前でうたた寝しそうです。


下弦直前


★★2012年09月11日(火)サル山、放物面鏡

 首相は、国を守る気も、国民を守る気も無いんだ。尖閣への対応も、沖縄への対応も、増税も、景気対策も、原発への対応も。ヤツを含めて、あいつらは自分の保身だけが関心事なんだ。サル山のボス争いをしている内に、動物園が乗っ取られちゃうってのに、それは大丈夫だと思っているんでないかい。ちょっと共産中国が騒いだからオタオタしているってのも阿呆の極みで、石原(父)の爪の垢でも呑ませてもらえ。どうせ、下々の者にとっては、支配者が変わったって、生活が苦しいのは変わらんのだし、おいしいようなことを言うヤツに限って怪しいもんだからね。

 さて、幾何光学で、高校生の数学で十分できると始めました。球面鏡の球面収差は、アッサリと仕上がったのですが、放物面鏡で問題となるコマ収差で、難儀してしまいました。というのは、この分野の御大である某氏の著作に「いろいろな程度のピンボケの円が少しずつズレてかさなって図のような」という説明と共に概念図が載っていたのです。何はともあれ、放物面鏡に斜めに入る光線がどの様に反射してくるかを計算式として求め、焦点面でどの様にボケるのかを計算して図で表してみると、どうも説明とは違います。そもそもピンボケの円が、というものの実体、つまり、光が集まっている状態が出てきません。計算式を別の公式から導いて、計算式を一新しても同じ結果を出します。一体どこが間違っていたのかと、さんざんチェックにチェックを重ね、さらに、計算結果を追跡して、間違いないかを調べました。そして、自分が間違っていない、というところに、たどりついたのです。計算の結果としては、中心から等距離にある反射面のリングに、光軸に対して斜めになった光線を入れて、焦点面にどの様に差し込むかを見ると、大きさの違う二重楕円のような形になります。これが、中心からの距離が大きくなるに従って、形が大きくなり、中心から離れる方向へズレていきます。実例とされているコマ星像をみると、こちらで計算したもののほうが即しているように見えます。勿論、自分で撮影したコマ像も、そうなっています。
 つまり、「収差の理論はたいへんやっかい・・・難しい数式は出来るだけ省略して」という著作の方針が、ここに出ていると見て良いでしょう。ただし、コマ収差についていえば、専門家の説明とは思えない省略ぶりで、ピンボケの円という表現にはピンがあるという裏があるのですから、不適当な表現です。まあ、もっと詳しいものを見ろということでもあります。
 取りあえず、放物面鏡については、コマ収差の状態についてが判れば充分です。これ以上は、もっとまともに数式が載っている専門書が欲しくなるのですが、自作するわけでもありませんから、この辺りでケリを付けようと思っています。結構楽しめました。


★★2012年09月12日(水)天上に伸びるヤコブの梯子



★★2012年09月15日(土)富裕層?、暑さの記録日々更新、スーパーミニ、兄弟?親子?

富裕層?
 富裕層という言葉を最近よく聞きます。稼いでかなりの金額を持ち、支出することをためらわないので、これを利用しようという向きの発言であることがほとんどです。かなりの金額といっても、申し訳ありませんが、個人レベルの贅沢をするというレベルで、とても富裕というには足りないように思います。ベンツに乗ったり、海外旅行に出たりというニワカ成金の所作しか聞こえてこないのは、報道機関のせいでしょうか。
 豊かな人間は、本当に豊かであるならば、金が金を生むことを知っていて、金の使い方を心得ています。アメリカンドリームで、超絶お金持ちになると、財団を作ってお金の管理をする話は、幾つも聞くことができます。
 今では世界一ではなくなりましたが、パロマー山天文台の5メートル反射望遠鏡は、国家が作ったのではなく、そういった財団が、世の中のためになるというので作ったものです。世界一豊かなアメリカというシステムは、こんな部分をも持っているのです。ひるがえって、富裕層が、本当に富裕層であるのなら、金が生んだ金で世の中を良くしようとする。それが、より金が金を生むことになると知っているわけです。しかし、ただの成金が、嬉しくて金を使っているだけなら、喜ぶのは納入業者だけで、収入の道が途絶えたら、誰にも何も残らないことになります。
 つまり、富裕層目当てのビジネスを展開しようというのは、没落の手伝いをすると共に、その上前をはねようとするわけですから、誉めてやることはできません。儲かれば良いというのであれば、なあに一つ穴のムジナですから、止めやしませんがね。

暑さの記録日々更新
 このところ、暑い日が続いています。毎日、暑さの記録の更新です。北海道で、盆が過ぎ、9月も半ばになろうというのに、昼間の温度が30度になる。最低気温が20度を下回らないなんてのは、異常事態です。一番暑いときでさえ、夜になったら、換気の扇風機で涼しい風を呼びこむことができるし、今頃、そんな事をしたら風邪をひいてしまうはずなのに、未だに扇風機が現役です。
 仕事先では、12センチのファンをパソコンの横に置いて涼を取らないと、その場で気絶してしまいそうです。エアコンなんかありませんからねぇ。業務支障ありです。

 この暑さの中で、ドームが心配になって度々、様子を見ているのですが、あのカビを生やすような事態が見あたりません。さんざん暴風と共に雨が降っても、中に吹き込むことはありませんし、温度が上がっても、湿度はそれほど上がりません。しけった空気が入っても、温度が上がるので湿度は下がってしまうのです。どうしてあれほどカビが生えたのかが、どうしても不思議です。夜に温度が下がって結露するほうが、心配な位なのですが、そのような事態がきっとあったのでしょう。
 冬場のことになりますが、コンクリートは、要は石ですので、温度差があると結露します。夜中に冷えて、昼間の空気に触れると結露します。床に結露というよりは結氷していることもあります。カーペットの下が湿気っているのです。しかし、温度が低いので、カビが生えてくることはありません。冷凍しているようなものですからね。これを何とかしたいとは思っているのですが、有効な方法はやってみないと判りません。断熱材で覆ってしまうのが手であるので、手に入りやすいスタイロフォームで床面を覆うという方法があります。既に机周りのドームの壁にはスタイロフォームを布地で覆って立てかけています。しかし、床となると強度的な問題で少々疑義があります。その上を歩いていて変形、反り返ってきたらやっかいですし、粉になっていくような感じがあります。その上をコンパネで覆うというのは、ますます大工事になってきます。こちらもいろいろと考えなければならない事です。

スーパーミニ
 で、土曜日の今日、仕事でした。帰ってきてから、突然思い立って、ドーム常駐の改造カメラを母家に戻し、デジイチを並べてみました。歴代、少しずつ大きく重くなっています。更に嫁様のコンデジ・・・他のコンパクトに比べればコンパクトではないのですが、デジイチと並べると、スーパー・ミニ・サイズであることが判ります。これ以上小さいと使いにくくなるという大きさです。撮影は初代デジカメである990なのですが、使い方をすっかり忘れていて、マニュアルを見ないと駄目でした。撮影は満足のいくものではありませんでしたが、電池の消耗も激しく、これ以上のトライは気力が落ちてしまいました。この初代とのコラボはD300でいきましたが、こちらはちゃんと使えました。しかし、上がってきた画像をチェックすると、満足できるとはいえません。やはり何といっても、最新モノが使いやすく、戻れません。そーいうモノなのでしょう。


兄弟?親子?


★★2012年09月17日(月)デモ?、歴代カメラ

デモ?
 デモ、デモンストレーションをしているはずなのに、結局は実力行使によって破壊をする暴徒になるというのは興味深いことです。その国の政府も勿論、同じやり方であろうと想像できます。さて、破壊するのは判ります。何かに対して反対して行動に出るのですから。結局は手が出て、憎しみの対象を壊すというのは、それなりに見聞きする現象です。しかしながら、その憎しみの対象が、略奪の対象になるというのはどうでしょうか。憎んでいるモノを手に入れるというのは、理解しがたい行動です。動機を考えれば、実は動機も目的も違うのでは無いかという疑問が出てきます。自分の手に入らないモノだから憎むというのはあり得ることでしょう。そして、それが目の前でお持ち帰り自由となったら、実は欲しいモノであったという要求を実現するわけです。
 さて、憎んでいるモノを壊すことだけが破壊の理由とは限りません。他に当たるというのは、常日頃から見聞する事態です。日頃の不満解消や、○○が気に入らないのでこの際に、というように目的は別にあって、チャンスさえあれば、ここぞと目的を果たすというような行動を取っているのだと見えます。豊かになったといっても、満足している人間は僅かで、ほとんどの人間は不満を大きく抱えている国です。国民の大多数が中流意識を持っている国とは比較になりません。少なくとも他人のモノは自分のモノという行動原理があって、行動規制はほとんど無く何でもありが、まかり通る国です。こんなところは、この国だけではありません。国を名乗ってはいますが、中身は大変というところはいくらでもあります。これだけ人口を抱えているところは類を見ないでしょう。それはともかく、その国の人間の行動を理解できないというか、賢くないというように感じてしまいます。それはどうしてなのでしょう。
 似たように膨大な人口を抱えているその隣の国は、それほどの大騒ぎが伝えられることがありません。国境問題や国内問題はちゃんと懸案問題として存在しているにも関わらず、国内での対外問題で騒乱が起こって対応に苦慮しているということは、伝えられていません。精強な軍隊を持ち、核兵器も持ち、隣国との紛争に備えています。特に情報封鎖をしているわけではありませんから、やはり国民性といっても良いでしょう。

 照葉樹林文化という分類があります。森林の文明です。豊かな自然とその中で暮らす人々が作る国があります。これに対するのは砂漠の文化です。厳しい砂漠の中で生活してゆく人々が作る国があります。作る宗教も違いがあります。ヒンズーも仏教も森林の恩恵を受ける文化圏です。宗教的規制が薄くなった日本は、間違いなく基底部に照葉樹林文化があります。これに対して、イスラム、キリスト、道教などは、砂漠から生き残るための文化圏に入ります。

 さて、世界が小さくなり、2大文化圏が混ざり合っていますが、混ざって均質になる様子はありません。それぞれ独特の文化圏を構成しています。そして、文化の違いは深刻な対立を生むことがあります。それが、戦争にまでつながることもあります。地図を広げると2大文化圏のせめぎ合いが何カ所かで定まっていることに気付きます。国と国が争う場所が決まっているのです。そこを見つけるには、ずばり、降雨量です。降雨量が少なすぎると生活ができませんが、河があれば何とかなります。それを考えれば、国の基本は穀物生産である事が理解できます。
 そして、領土拡大を行うのは、ほとんどが砂漠側です。砂漠文明は版図を広げようとするのです。森林に属する日本が太平洋戦争で領土を広げようとしたのは珍しい例に入ります。勿論、明治維新で砂漠の文明に対抗しようとして作られた計画の延長上の結果というように考えることもできます。和魂洋才というのは日本人の得意技であったはずです。
 こう考えてきたら、日本列島に作られた国がどの方向へ行けば良いのかが見えてくるでしょう。砂漠と森林がせめぎ合っている場所であり、近隣の国はそれぞれの文化圏に属しています。陸続きであることから、すぐそこの半島の国は属国となっていることの多い歴史を持っていますし、南側は降雨量が多く、北側が少なくなっています。現在は南北で文化圏がせめぎ合うところになっています。
 歴史的に国が興廃する原因の一つとして、気候変動があります。最近、新記録続きの気象現象が起こっていますが、これが更に変動し、常態化した場合には国の興廃が起こりえます。特に砂漠の国は、元々降水量が少ないので、気候変動には敏感になります。そして、砂漠の国がおとなしく滅びることはありません。生き延びるべく覇権を求めるのです。ですから、単に海上権益を求めての活動なのでは無く、全てを自分のものにしようとする動きの一環なのです。この100年オーダーで見れば、それに対応することが必要でしょう。まあ、飲み込まれたとしても、それ自体が自滅していきますから、再びここには独立した国が存在するでしょうが、飲み込まれない方が人々は平和で幸せでしょう。

まあ、次の手といえば、官憲に手に負えないほどの数の漁船でやって来て、拿捕したら国民を守るとか何とか言って、駆逐艦や投入したばかりの空母なんてのがやって来るという筋書きでしょうなぁ。粛々と実効支配をなんていう、おしゃべりは野田事、ああ字がピッタリですねぇ。


歴代カメラ
 思い出を切り取るカメラ自体にも思い出があったりします。最初のカメラを使用した期間は約6年ほどですが、いわゆる写真の撮り方を知ったカメラであり、結構苦労して、なかなか撮れなかった悔しい思いが詰まっています。ニコンではボディしか買えないけれど、ペンタックスにすれば、標準に200mmの望遠レンズも手に入るというので、機種を決めたという暗い(?)過去は社外秘です。高一の夏休みをバイトして貯めた金に補助を受けたとはいえ、潤沢な資金はありませんでした。しかし、機材が安いからといって、写真が安くなるわけではありません。ちゃんと撮れます。撮り方を工夫し、努力をするという事では、どのメーカーのカメラを買っても同じです。望遠鏡に取り付け、望遠レンズで手動ガイドを30分とか1時間、一晩に数枚しか撮れないし、失敗もします。失敗が判るのは現像を終わってルーペでフィルムを見ているときです。また、カラーフィルムを使う場合は、ラボから戻ってきてお金を払ってからです。
 フィルムは百フィートで買って自分でパトローネに巻きます。40枚撮りを作ったりしましたが、これが一番安い方法でしょう。当時のトライXが常用フィルムでした。フジもサクラも性能で負けていたと思うのはわたくしだけではないと思います。
 二代目の使用期間は4年位でしょうか。初代のシャッターがタマに下りないようになってきたので、同じメーカーの新しいモノを友人から安く買いました。ところが、マウントがスクリューからバヨネットに変わってしまっていました。古いレンズが使えませんが、その頃は既に直焦点撮影を始めていましたので、不便を感じてはいましたが、我慢をしました。一般撮影用に、これまた安いズームレンズを譲り受けて使いました。
 この頃に、レンズの性能の違いを知ることになります。同じモノを撮っても、メーカーと値段でこんなに違うのかと、愕然としました。更に、お高いモノでも、ここまでの性能しかないということも判ってしまいました。ボディはニコン、レンズはキャノンという方々が周りに多くいらっしゃいまして、うんちくを聞くに付け、言うほどの差は無いし、結局はフィルムの性能に依存しているんだという結論が出てきます。レンズで言うならば、毛穴まで写るニコンのレンズというフレーズが、嘘やキャッチでは無くキャノン党も認めざる負えなくなったこともありました。ボディでいえば、舗装道路でカメラを落として、ホコリを払ってそのまま使えるのがニコンで、その他は入院だという話が出ていました。この辺りで、隠れニコン教になったのも社外秘です。それはともかく、ツィアス・イエナを欲しがるのは見栄だけではない人も居るんだということです。しかし、それを持っても性能には限界があるし、まして一般の写真ならば腕がモノをいうのです。
 フィルムの時代は、カラーフィルムで全盛期に入っていて、ペンタックスやオリンパスというメーカーも元気いっぱいでした。それぞれがそれぞれの特徴でファンを獲得していた時代です。いじってみると、皆それぞれ、癖があって、癖を掴むのが面白かったことの一つです。
 この後、あまり写真を撮らない時期が続きます。全然撮っていなかったのではありませんが、惰性で撮っていたということもあります。まともに写そうとすると結構な機材が必要であることと、余裕が無かったことも含め、モチベーションも低かったのは確かです。
 そして、デジタルの時代がやって来ました。高価なカメラ達が旗を振っていきます。申し訳ありませんが、大した性能でも無いのに、大変な価格です。何でも出だしはこんなモノでしょう。すぐに次の機種が出て来るのが見えています。その度に、価格は下がっていきます。テレビだってビデオだってそうでした。下がってきた価格を見ながら、遂に手を出したのが、2000年のゴールデンウイーク中でした。機種選定で、ニコン教である事を隠す必要は無くなりました。それが3台目/三代目/のカメラと言う事になります。
 その次からはデジイチとなるのですが、これにも一波乱がありました。嫁様がオーロラを見に行く、撮影はデジタルでは気温が低すぎで駄目、メカニカルなカメラが良いということから、休眠中であった二代目が呼び出されました。旅行のカメラ指導に登場した日本人カメラマン、ちょっと前に同じ機種を壊したそうで、行く手に暗雲が立ちこめます。案の定、低温でフィルムの巻き取りに異常を起こし、持ち帰られたカメラは、部品取りしかできない状態でした。合掌。六代の中で置物になったのはこの二代目のみです。
 この結果、わたくしの元にやってくることになったのが四代目です。経緯はありますが秘密という事で。そしてデジタル12年、6台目/六代目/に突入しています。
 デジタル家電は古くなると粗大ゴミと化しますが、我が家のデジカメはそうでもありません。デジ初号機である三代目ですら、最近まで嫁様の元で現役生活だったのです。近年のコンデジは技術の蓄積だけで無く、ノウハウも貯まって、大変に使いやすくなっています。当初から実は思っていたのですが、重くレスポンスが遅いマシンです。無理して使っているのが可哀想でもあって、更新となりました。嫁様の自腹ですから、わたくしの台数には算入できません。形は、まるでデジイチです。小さなデジイチです。ストロボもポップアップで、嫁様のお気に入りとなっています。
 四代目は、天体向け改造で赤外カットフィルターを交換しています。この結果、水素原子の出す暗赤色の感度が4~5倍程度に向上していて、赤い星雲が美しく撮影できます。この機能を、出番の無くなっている五代目にも付けようか検討をしている最中です。生涯現役ができるのもナイコン教の恩恵です。


初代と二代目

三代目と現代


★★2012年09月20日(木) コ ミヤマ カタクリ



★★2012年09月22日(土)闘争、月齢6.2射手座宮24.112

 共産中国ではちょいとにらみをきかすとジュルシュルっとデモが静まります。デモをやるのも静めるのも官憲のさじ加減という国です。まだ、軍隊が強力に動けるという証拠であるわけです。ところが、信仰の対象が冒とくされたというので巻き起こるデモが暴徒化するのを押さえるのは軍隊でも困難となります。軍隊の構成要員が参加しちゃいますからね。この違いはそのまま宗教の違いと見るのが当然です。中身はそれほど違いが無いはずなのですが、社会を維持する機構として採用している方法、こうしなければならないという価値観の植え込みによって仕上がったものの違いになるのです。
 ひるがえって、日本では宗教という規制は無いと考えられています。しかし、無くて七癖、「自由」だと思っていたって、がんじがらめに縛られていることに目がいかないのでしょう。まあ、デモが暴徒化しにくいのは教育の問題が大きくあると考えられます。小さな頃から学校という組織の中に取り込まれ、その中で育ってきているのですから、これは当然です。子供の成長は学校に任せていれば大丈夫というのが、今の日本人の信念になっていないでしょうか。自分の子供の躾すらやらせていないでしょうか。担任に子供を起こしに来いと要求した母親の話は有名になっています。
 イジメという話題は今に始まったことで無く、古くからの命題です。ではどうしてきたかと言えば、古くは親の躾がありました。それが今は無くなっているのですから、する方もやられる方も実に無防備です。やる方が、他者のいるところでまずいことをしていたら、自分がまずいことになるというレベルの道理も学習も無いので、こっそりと呼び出してという方法すら考えもせずに、好きかってやります。他人が見ているからアンケートなんかで発覚しますが、少々頭を働かせれば、アンケートなんかに出て来るはずもありません。それに、集団生活をしているからといって他者との触れあい、共同作業、友人が自動的に出て来るなんてことはなく、本人次第。
 まして、噂としては耳にする、教育委員会と警察の癒着、談合はそこここにあります。イジメを訴えても握りつぶされるという例を複数見聞きしている人は沢山いるはずです。じゃあ、癒着、談合を無くせば良いかというと、イジメ問題が明らかになるだけで、問題の解決の方向すら見えないのです。奴らをチョすのは結構大変ですし、それで何の解決にもならないというのではねぇ。
 学校というものが、教科書を教えるだけで無く、段々と手を広げてきたのは確かです。そして、結局、手一杯になっている。それが問題の一端です。今のように教育は学校だけがやるものではなく、親がまず一番であり、それを支える地域社会があって、その次くらいに地域社会の中の要素の1つとして学校があるはずです。その程度のもののはずなのです。その方向性を誤ったのが旧文部省という事になります。
 日本の学校では部活動というものを盛んにしないといけないと皆さん考えています。本来、スポーツとして専門の訓練されたトレーナーに金を払って教えてもらうような内容を顧問に要求します。その極みが高野連でしょう。これに出れば有名になれるというので、皆さん熱狂的です。わたくしなんかは一部の優秀な球児/高校生に児ですねぇ/の就職活動でしかないと思っているのですが、高野連の種々のやり方に何の疑問も持たないでいる方々がほとんどであり、それが民意という事になっています。本当に自由な考え方をしているでしょうか。まるで信仰による行動規制です。それに、国技と言いながら、それを部活動として実現できているところはほとんど無いのはどうしてでしょう。やっぱりアレはやるものではなく見るモノなのでしょうか。
 イジメを思いついてやる子供は、珍しいでしょう。何らかの例を大人で見ているはずです。子供の得意技は模倣であり、それを基本とする学習行動なのですから。また、その現場を見ていなくても、子供は敏感です。超能力者レベルの敏感さがあります。大人社会にイジメが存在しているから起こる現象です。
 職場で、あれはイジメで無いか、と思うやり取りは無いでしょうか。わたくしはよく見ます。事例集作っても良い位、見聞きしています。だから、子供達のイジメは無くならないのです。イジメを無くしたいのなら、いじめをしたいヤツ、威張りたいヤツ、自分が上位であると思いたいヤツ、そいつらの闘争本能を他に向けないといけないのです。でも、気を紛らわすことができない場合はロボトミー手術をすることになります。
 つまり、イジメというのは対策を取っても減りはするでしょうが、無くなりはしないものです。最終対策は1つ、イジメられたから死んじまうという方向付けを何とかすることです。イジメられて強くなる者もいれば、負ける者も出る。戦いですから、負けることがある。負けたときにどうするか。これが肝心な点です。


月齢6.2射手座宮24.112


★★2012年09月25日(火)百年の計

 はて、狂的とも言えるほどの中共の反応です。どこからそれが出ているのでしょう。元々、100年、200年の計を考えるような思考回路であったはずの指導部が、強く領土主張を始めるというのは、腑に落ちない出来事です。その兆候はベトナムとの領海争いが端というわけでは無いでしょう。くすぶっていたものがあるはずです。海上権益とか、資源を求めてといいますが、あんなところに少々あるモノが欲しいと言うのもお笑いです。資源は15億といわれる人間のはずです。
 以前に毛沢東の独立宣言で中共を読んだことがありますが、既に厳密には共産国家では無く、昔ながらの皇帝国家体制となっています。中国共産党という名称を残してはいますが、実体は権力機構としての組織と軍事組織が一体となった組織です。つまり、毛沢東の独立宣言図とは違うモノが今の中共であるわけです。端的に言えば鄧小平の時代に経済だけを自由化したというのが、社会主義の放棄だったわけです。それまでは、社会主義国家の一方の雄として、自国を守る為に周辺国を飲み込もうとして実力行使を繰り返しています。ところが、どんなに飲み込んでも、国境の先が広がるだけです。経済的に成功して行くには、領土侵略の方針=社会主義を変えなければならなかったのです。毛沢東の独立宣言チャートでは、1987年2月の進行太陽と出生火星のスクエア、それに続く進行太陽と出生冥王星とのスクエアで、チャートの命運は尽きました。こうなってくると始原図を別に定めないといけません。手っ取り早いのは、9月21日です。そして、それを元にして、何らかの変化を読み取ろうとしてみましょう。
 中共の法体制は、支配階級と下々での二重性を持ち、当然ですが支配階級には緩い制度となっています。法の元に平等という考えはありません。日本や欧米諸国では考えられないことですが、貧富の差、教育の差、信条・行動の差がきわめて激しいことは確かです。しかしながら、法という考え方についての違いであると一万歩ゆずって考えれば、こチャートを法治国家として見ることが、勘違いである事が判ります。
 支配者のさじ加減一つで決まるわけですから、今までの経緯も積み重ねも、支配者が変われば、コロッと変わる、それが当然です。何しろ、従わない者は、一族郎党、皆殺しの歴史を積み重ねています。という事は、システムとしてはまだまだ持ちそうな様子です。歴史的に、腐りきってどうしようも無くなり、新しい支配者が出て来るという繰り返しをしています。そうなると、9月21日のチャートに乗り換えたと考えた場合、かなりの延命をしたと見ることが出来ます。というのは、9月21日のチャートでも進行太陽と出生火星のスクエアは、独立宣言のチャートとは少々時期がずれていますが、既に通過しているのです。完璧なデット・ポイントは2039年8月にあります。これを超えることはできません。
 ただし、早めることはなんぼでもできます。なぜならば、マズイ手を次々と打てば、どんどん悪くなるのは当然ですし、国民全体が豊かになる事はできないのです。そのような生まれです。今は、世界の工場として先進国の工場を迎え入れ、経済的発展を遂げてはいますが、賃金も上昇し、国としても領土主張で戦争もやりますということであれば、投資家の皆さん、周辺国へ流れるでしょう。豊かになったというのは、ほんの一部の人数ですし、世界の中心で一番偉い国だという夢を持っている限り、数年で最貧国に落ちることになります。そして、世界の市場として名乗りを上げたところで、ポシャってしまえば、世界経済というヤツも、再びどん底景気となり、最貧国への援助なんかとんでもないという事になってしまうでしょう。当然、政変が起こることになります。伸ばしても数年が27年になるだけのこと。そんなところに投資をするというのも目が無いねぇ。孫どころか、息子の代にも届きませんよ。今度は、こっちが百年の計を持って見ていなければいけないのです。


★★2012年09月27日(木)気温低下中