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★★2020年01月01日(水)新年のご挨拶
★★2020年01月04日(土)雪の量少なし・もとい無し、お祭り
★★2020年01月05日(日)金星、月齢9.2
★★2020年01月06日(月)バラ星雲in一角獣座
★★2020年01月07日(火)不思議事件続発、眼鏡手配
★★2020年01月11日(土)鏡開き干支集合
★★2020年01月13日(月)一瞬の判断
★★2020年01月17日(金)月齢21.7
★★2020年01月22日(水)滑る階段
★★2020年01月24日(金)氷筍
★★2020年01月27日(月)冬の星座とベテルギウス
★★2020年01月01日(水)新年のご挨拶
★★2020年01月04日(土)雪の量少なし・もとい無し、お祭り
現住所に越してきたのは2003年夏のことで、翌年正月は帰省していましたので雪の降り方は判りません。しかし、2004年から昨年までの16回の元旦に、積雪が無かったことはありませんでした。今年は積雪ゼロです。札幌方面でも同じような状況で、雪まつりの雪が足りないのは何時ものことになっているようですが、今年は例年の取り寄せ先のところにも雪が無いとか。量が量ですから運ぶのも自衛隊にかなりの部分を頼っているそうです。除雪して溜まった雪を使わないのは、中に熱を吸収する混ざり物が入っていて、雪像がそこから融けだして倒壊するのだそうです。要は融雪剤を入れたと同じ状態になった雪はダメで、新雪が積もった状態の雪しか使えないという、贅沢なものです。岩見沢付近まで雪を求めたことがあったそうですが、今年も苦労しそうですね。
幾ら冬の定番イベントとはいえ、雪が降って積もる場所だから意義があるので、雪が無くて苦労するというのも、本末転倒のような気がします。取り寄せる費用というのもタダでは無いのですから、どうなのでしょう。いえ、駄目だと言っているのでは無くて、雪に原産地は書いてありませんし、使う費用と効果の対比は、何処で判断するのだろうかということです。
イベントとしては集客力もあり、ちゃんと儲けも出ると言うものであれば、それはそれで皆さんが納得出来るものになっていると思います。そこに税金から出ているお金から、税金として戻ってくるお金、皆さんの懐に入るお金、財布から出した方々の満足の具合、そんなあたりの評価というヤツですね。
札幌にはもう一つウリにしているイベントがあるのですが、こちらも集客力・宣伝も同程度のランクに位置づけられています。ただ、中身と意義については如何かと思っています。通称ヨサコイと呼ばれていますが、夏にその踊り?を競うイベントで、発祥は民謡「よさこい節」の高知です。イベントとしては、単純でやりやすい内容であって、全国に広まっています。札幌では某大学の学生が始めたイベントであったそうです。
集客が見込め、お金が動くことから興業ビジネスとして経営されるようになって、参加者が変わったと元参加者から聞いたことがあります。中身としては曲に合わせて踊るだけですから、のど自慢大会と趣旨は同じです。ところが、何か特別な世界に入れたり、高い地位を得たと勘違いする参加者や、それを煽るプロデューサー?が暗躍?、ほのぼのとした大学祭レベルのイベントが、商売となってしまったのです。まともなビジネスであれば、それで食べていけるプロフェッショナルを育て、その中で回していくものですが、単なるイベントですから踊り手達は自分で参加料を出し、衣裳や道具をそろえてくる手駒でしかありません。商売としては、踊ってくれる踊り手にまで金を出さして、丸儲けです。ボッタクリと言っても良いでしょう。利益率が高いイベントです。興行主になりたい方々がひしめきます。雪の調達に莫大な資金を必要とする雪まつりとは、意義と内容についても質的な違いがあります。勿論、本家本元の祭りとも質的な違いがあります。踊るのが楽しいからやるので、他に得るものが出てくると、色々と濁ってくるなぁと思うのです。
お祭りという言葉があります。祭ると言うのは、神霊に奉仕し、慰めたり祈ったりする儀式や、行事を意味すると共に、神としてあがめ、一定の場所に安置する意味があるとされます。更に転じて、記念・祝賀などのために行なう行事や、商店等が集客を目的として行なう宣伝にも使われるようになり、総じて人が集まること、集めたいことに用いるようになったと考えられます。
従って原義としては神霊を対象とする儀式行事を示すもので、字義だけで見れば、神道と呼ばれる分野での用語であったのだろうと思えます。そこで神道と言うものものについて調べると、何とその解釈次第で、派閥を作れるような世界がそこにあります。原典とされるような文書についてさえ、それは偽書で本物はこうだと主張する者や、解釈する人物によって、意味内容が違ってくるのは当たり前になっている世界です。江戸期後期になって初めて、降りてきた神がどの様な神なのかを見極めるという考え方によって、神審者(さにわ)を提唱した一派が出てそれなりの支持を受けたようです。つまりそれまでは、神が降りた巫女さんがわらわは天照大神じゃと言えば、有り難やと承っていたのが、キツネやタヌキの類と見分けるのじゃと言う説が出てきたのです。そもそも多神教ですから、特定の神を呼び出していたはずのところを、確認を必要とする状況が出てきたのでしょう。なかなか現代的になって来たものです。どうやって確認するのかについては、いささか興味があります。神を判定するわけですから。
沿道に並んだ露天商の出店で買い食いするのがお祭りと思っていたわたくしとしては、汗顔の至りですが、それでも一応、神社まで行ってはいました。但し、神社といっても小さな社殿で、一抱えの大きさしか無く、勿論、常駐の社務所は無くて、倉庫が横に一つだけでした。要は神社の出店、出張所だったわけです。岩槻街道という名称の道沿いにあって樹の多い小さな公園のような場所で、一応富士山を模した築山がありますが、あまり人影の無い場所でした。ただ、その境内で何かの行事が行われていたのかどうかは、憶えていません。社を拝むには背丈よりも高い階段を登らないと行けませんし、狭くて一人ずつ登らないと行けないので、下で手を合わせて済ましました。
この社、十条富士神社という名称だと思いますが、その隣に街道に出る横道が来ています。この横道は岩槻街道よりも広い道で、元赤羽線、現埼京線の踏切まで270メートルほどありますが、そこに出店が両側に並び、踏切をを越えると何十メートルかで十条銀座の中ほどに出ます。何時もは人通りの少ない道に、縁日の6月30日だけは、露天商の出店が隙間無く立ち並び、人の波で溢れます。「おふじさん」と呼んでいたお祭りです。中学時代までは、この出店の塊が「お祭り」と思っていました。
蛇足ながら、岩槻街道は、お江戸日本橋から本郷通りを北上、飛鳥山で王子駅の方へカーブするところを十条駅・赤羽駅方向へ向かうと、すぐ右手に王子神社があります。さらに道なりに進むと、その先、十条台小学校前のY字路を赤羽方向へ直進する道で、その先にある荒川小学校の前にあるのが十条富士神社です。この道は、更に北上し赤羽で北本通りとなり新荒川大橋を渡って埼玉県岩槻までを結び、日光御成道の一部となっています。要は将軍様が日光への往還に使った道であって、主要五街道と同様の整備を行った道だったのです。幅8mの狭い道ですが。だいぶ前に聞いた話で、拡張計画があって、20メートル幅の往復2車線にする計画があり、社のある場所のほとんどが道になってしまうということでしたので、グーグルで見に行きました。既に王子側から拡張工事が進み、丁度神社のところまで来て、いよいよ神社に手が入る様子の状態でした。今頃は工事が環状7号線に辿り着いているかも知れません。
お祭りはその一つだけでは無く、もう一つ、「おじぞうさん」と呼ばれていた8月24日のお祭りもありました。こちらは、環状7号の姥ヶ橋交差点から十条駅方向に少し入った所にある姥ヶ橋延命地蔵尊です。お地蔵さんを基点にして十条駅方向へ、200メートルくらい露天商の出店が並ぶというものでした。夏休みの終わりを告げるようなお祭りで、少しばかり残念な気持ちでした。お地蔵さんですから、仏教に分類されます。しかし、僧侶が袈裟を着て読経している姿を見たことはありません。
延命地蔵ですので、お祭りの時だけで無く、散歩や買い物ついでに手を合わせて行く姿を、通りすがりによく見かけました。
その後、神道と仏教について授業で出てきたときに、お祭り(出店のことです)は一緒なんだよねと不思議に思ったのですが、何か面倒な感じがしたので、質問しなかったという過去もあります。営利と権利絡みだろうと感じたわけです。
古来、祭りというものは、目的に沿った様式をもつ行事であって、特定の神や祖先との交流を行う為に、神を降ろし、帰す儀式を含んでいると考えて良いでしょう。しかし、神道という一括りにされてはいますが、まとめることが困難であるほどの多種多様な方法と論があり、神と呼ばれる存在すらも共通ではなく、沢山の神が登場します。多神教ですから。他のものを否定せずに自分は自分の分を守り、共存する方向を持つ神がほとんどのように思えます。神道と一言で済ますことが出来ないのは、神と呼ばれる心霊的存在が唯一神ではなく、多数が共存、併存している為でもあるかもしれません。
神社を持つ形式の神道では、祭りの中で、神楽殿において、楽と舞いによって祭祀を司る巫女自身の上に神を降ろす儀式を持つところがあります。巫女自身が依り代となることもあれば、いにしえより伝わる依り代に降りていただくこと、神がかりとなった巫女から更に依り代へ降りていただくこともあるようです。神楽舞に寄らずに降りる神もあるやも知れません。降り戴いた神を御神輿に載せ、域内を一回りすることもありますし、そのまま神のお告げを受け取ることもあります。そして、来訪のお礼と共に、お帰り戴くのがお祭りの内容です。
そして、踊るというのは、集団で飛び跳ねまわるもので、踊り手が専門職にある必要は無く、宗徒で無くともよいのです。対して、舞うという行為は、神への奉納ですから、神域内で神と交感する為の専門職が行うものになります。そして、踊り手には無いことですが、舞い手が神と同一視される可能性があることから、舞い手に対する各種制限が加えられる原因にもなったようです。神のお告げが施政者にとって都合が悪いことがあったのでしょう。その結果として神楽舞が残されているところは、神威が維持出来た僅かな地域だけだったのかもしれません。その意味でも、神様にも運と運命があるのでしょう。
★★2020年01月05日(日)金星、月齢9.2
金星
月齢9.2
夕刻、窓から顔を出すと、雲が無くなっていて晴れています。久しぶりに金星を見ました。月も半月過ぎです。先ずは金星かと思い、撮っている内にサッサと沈んでいきました。撮影は昨晩6時過ぎです。位置は山羊座にあって1月11日に水瓶座に入ります。星座宮では水瓶座宮18度を順行しています。写り込んでいる恒星に見覚えがあったので、星図で確認したところ、やはり憶えていた恒星名です。何しろ、我が家の嫁様の守護星です。水瓶座β星Sadalsuud、幸運中の幸運という名称で、この星が太陽と共に登る頃には春の雨の季節が到来し、植物たちの生育が始まることからこの名が付いたとされています。アラビアでの名称は、この星と水瓶座ξ星、山羊座の6番星の3つの星で作る星宿に付けられた名称だったようです。
アラビアと言えば砂漠がセットで出てくるくらい一年中、熱くて乾燥した場所のようなイメージがあります。その場所に一年を通して住んだわけでも無いのにも関わらず、映画や報道で見るたために、知っているつもりになってしまうという錯覚、誤認の一種です。砂漠が出来るのは、昼と夜の気温が大きくて母岩が膨張収縮を起こし、細かくなっていくからです。空気は乾燥し、水蒸気をほとんど含みません。昼は太陽の光で気温が上がり、温度の上がった空気が上昇しても雲を作ることは無いので、気温は限界まで上がります。夜は遮るものが無いので、放射冷却により熱はどんどん宇宙空間へ逃げ、氷点下になることも珍しくありません。そして、水を運んでくる大河が無ければ、乾燥した大地を潤すものは無いのです。その様な地でも雨季のある所があります。緯度は、日本とそう変わらない地域ですから、四季があります。やはり夏は暑く、冬は寒いのですが、砂漠では一日の中でも寒暖の差が激しくあるのです。その様な厳しい気候がイスラムの教えを作ったとも考えられていますが、砂漠地帯だけがあるのでは無く、植物が少なめの場所の方が多いのです。その様な場所には雨季があるのです。その時に植物は1年分の成長をします。天の恵み、これが無ければ生きてはゆけないという雨、死の世界を生者のものとする雨が幸運中の幸運、サダルスードです。
月も久しぶりです。まあ、金星ほどは空いてはいません。先月の5日の夜以来です。その時の月齢が8.8ですから、ほぼ一回りの期間、月の姿を見なかったようなものです。実は、大晦日の夜に雲中の月を撮っているのですが、まるでピンボケのような映像ですので、これはノーカウントと言うことで。
半月の月は、月齢がおよそ7.4と22.2とされていますが、これは平均値です。月の動きは時計のように動いているのでは無く、重力による動きですから、かなりの幅を持って変動します。朔望月が29.530589日と理科年表に書かれてはいますが、これも言ってみれば理論値のような、平均値です。なるべく簡単に表現しても、太陽と地球、そして月の3天体の万有引力による関係ですから、三体問題として、正確な軌道を数式として捕まえるのはかなり困難な事になります。ですから、月齢というのも使う人は、おおよその目安という位置付けで、半月や満月の月齢の数値が、決まり切った値では無いと知っておくと共に、±半日くらいは違っているのが普通のことだと判っていること、同じ月齢でも、形が多少違っても不思議では無いと知っていることが求められます。月齢は新月の瞬間からの時間を日の単位で現した数値です。従って、下弦の月の方が、大きく差が出ます。
ですから、夜に写真を撮って、次の日にアップするようなときは、前日の撮影時の月齢で表記します。逆に言えば、直前の新月の時刻が判っていると、月齢から何日の何時頃に撮ったかが、ある程度判るのです。ただし、この月齢表示というのは、一見、専門的で凄い分類の方法の様に見えますが、月面観測ということで言えば、月齢は目安程度のもので、月面で太陽高度がどうなっているのかという様な事を問題にする場合には、本当に目安程度にしかなりません。太陽との角度差を使うという方法もあるのですが、それであれば赤道・黄道・白道、どれが良いか等の話や、月自体の秤動と呼ばれるフラつきを、どう表示するのかというような面倒なことまで出てきますので、月齢というものを使って済ましているわけです。
撮影情報としては、撮影時刻というのは貴重なもので、内部的には、カメラの時刻を出来るだけ合わせ、撮影した画像はパソコンに取り込み、撮影カメラと記録日時の情報をファイル名の中に埋め込んで整理しています。そうしていないと、どの画像を使ったのか、あとで不明になってしまうのです。
★★2020年01月06日(月)バラ星雲in一角獣座
通称バラ星雲と呼ばれています。星団部分にNGC2239、2244、星雲部分にはNGC2237、2246等のカタログナンバーが打たれていてます。星団としてのNGC2237については備考欄にbeautifulと記載されています。これらは視線方向に重なっているだけの別天体と言うことでは無く、同じ場所にあって関係を持っています。
光害の少ない空で見ると、星団の方は、視力の良い方ならば、一角獣座12番星を初めとして肉眼でも幾つかの星が判りますし、より暗い空であれば、淡い星雲の光を視認出来るかも知れません。明るい双眼鏡を使えば、もう少し良く判ります。ただ、色までは判らないと思います。
これがカメラを使い、蓄光すると、Hα領域の暗赤色が出てきます。特に、カラーバランス調整フィルターを外した天体専用(わたくしはこの言葉に異論があります。Hα対応カメラでしょう)カメラや改造カメラを使うと、赤々と写し出すことが出来るようになります。大きさも大したもので、角度で80分×60分、つまり1.3度×1度ほどあります。角度面積で言えば満月5~6個分もある天体です。距離は5500光年程度と見積もられていますので、横方向130光年、縦方向100光年という大きさのある星雲です。
この距離からすると、この星団の中で、肉眼で捉えることの出来る星が幾つかありますが、その星の実態は、恒星最強のO型スペクトルを持つ高輝星であって、絶対等級で-5等程度のとんでもない星ということになります。そして、これらの超高輝星は寿命が短く五千万年と持たない短命の星です。たちまち超巨星化して超新星として華々しく爆発し、中性子星やブラックホールになると考えられています。
星雲が発光して見えているのは、星団の中に数個ある、この高輝星の放射する紫外線によって励起された星間ガスが発光しているものです。星雲の中の明るい部分に穴のように見える部分はグロビュールと名付けられています。そして、穴では無く星間物質が特に濃い塊で、これから更に収縮して星になるのではないかとも想像されています。つまり、星の卵では無いだろうかと考えられているものです。
拡大画像の中には線が入っていて、人工衛星が写り込んでいるのが判ります。露出時間は60秒ですので、60秒でこれだけ動いているのです。低軌道の衛星はもっと速く動きますから、この人工衛星はもう少し上の高度のものであろうと想像します。ところで、この欄にバラ星雲を出すのは、初めてでは無く2015年の2月にも出しています。その時はD300の改造カメラを使用していました。その他の光学系は同じです。しかし、カメラの能力としては雲泥の差があって、画像を加工した結果では、大きくするとアラばかりが目立つ画像でした。だから、拡大画像の形が無いものにしていました。そうそう、あの時も人工衛星が写り込んでいました。あちらの露出は2分ですから、今回よりもっと遅い衛星で、つまりもっと高い軌道だったのです。
★★2020年01月07日(火)不思議事件続発、眼鏡手配
不思議事件続発
昨年のことですが、段々と押し詰まってきた頃のことです。嫁様が寝ているときに足首を掴まれたっ、というのが始まりです。夢で掴まれて起きてから思い出したというのでは無く、掴まれて目が覚めたという形です。早速、当人がネットで検索してみると、嫉まれているとか、恨まれているとか・・・? 心当たりが無いそうで。
続発する足首、掴まれて目が覚める事件。中には、てっきりわたくしが犯人だと思って、止めてーな、と言って足元を見ると、誰も居ない・・・ということもあったそうで。近しい方々が、年末に亡くなっているので、会いに来ているのかなぁ位でした。
次に、就寝前のわたくしの目の前から、長靴下を止めるバンドが移動した事件です。長靴下を止めるバンドの片方が、ベッドの上で付け直している内に行方知れず・・・。外して2本一緒に置き、改めて付けようとしたら1本しか無い。無くなるはずは無いっ。散々探したのですが出て来ないので、見あたらなくなったという話をする為に、嫁様に声をかけると、嫁様のパソコンの下から出て来る・・・。探し回ったといっても、ベッドの上の布団、ベッド回りに部屋の中、探している内にトイレに行きたくなったので立ち回り先はトイレだけです。その間、嫁様はパソコン前に常駐、どちらの動線にも関わりがない中の移動です。
年賀状を出したときに、郵便局の指定に合わせて宛先別に分けて別色の色付き輪ゴムで止めて投函したのですが、年が明けて届けられた二束の年賀状が輪ゴムでとまっていました。付いていた輪ゴムなんですけれど、2本、どう見ても同じものが帰ってきています、???? 偶然にしては出来すぎ、郵便局でまとめるときに、同じゴム輪を使ってる???
どうにも占星術で取り上げるには、なかなか難しめな内容とタイミングで・・・。幻覚幻聴と言えば、別の方面の守備範囲で、半年ほど鑑定拘留と言うところですが、その方面に結構センサーの働くわたくしとしても、お医者様を頼る方向では無く、何かしらありそうな感じがありますので、要留意というところです。収まったように見えても安心はできませんので、警戒センサーは常時開放です。
今月は月蝕があります。今の月が満月になっての半影月蝕ですから、肉眼ではあまり良く判らなくて、写真では判るというのが経験です。それでも、ちょいと暗くなった程度で、見た目の派手さはありません。関係があるのか、事件待ちです。
で、こんなことを打っている最中にも、今来た? と、言う具合です。こんなのを打っている間に幽体離脱? 原因は、やっぱりわたくし?
眼鏡手配
昨日、月曜のことですが、眼鏡を買いに出かけました。ファッション的な要素のものに付いては、わたくしには才能もやる気もないと言って良いでしょう。感性がありません。カッコいいとか悪いとか言う話となると、全く理解不能です。どうでもよろしいと言うのが本音です。それより、性能がとか、取り回しが簡単だとか言う実用性の点しか思い浮かびません。ですから、一人で行って買って来いと言われると、一向に出かける気が起きません・・・。何しろ買って帰ってきたところで、怒られるのが目に見えています。何でこんなのにしたのっ!!!(怒)さすが芸術系学部 閑話休題。
渋々の嫁様に付いて、眼鏡店を訪れると、当初目当てにしていた店の品物が、何故か安物ばかりで、安かろう悪かろう。そこに辿り着く前にひやかした店の方がまともでした。こっちの方が良いんじゃ無いか、と言うわたくしの鼻の効き具合が、結構確か、そんなカンは人一倍あるのを知っている嫁様は、店員さんに幾つかの質問をして、OKサインを出し、交渉に入ったのです。
その中で、恐るべきことが判明しました。運転用眼鏡とパソコン用眼鏡の2つがあるのですが、それが度数を調べると、逆だった・・・。運転用眼鏡、つまり本当はパソコン用眼鏡での遠方への視力を測定すると視力0.5を切ると言うレベルで、免許取得のときの検査を通らないと言うか、良くこれで運転していたという状態だったということが判りました。
ただし、本格的に危険であったかと言えば、少々事情があります。眼鏡は目との距離が決まっていて、フィッティングの段階で合わせるのですが、眼鏡と目との距離を変えると、実質的な度数を変えることが出来ます。ズームレンズは、何枚もあるレンズの一部の位置を変えて焦点距離を変えるのと同じ理屈です。特にわたくしの眼鏡のレンズの度数は大きいので、ミリ単位でも違って来るのです。それで、アラレちゃん眼鏡のような鼻に載せる部分まで一体成型された枠では難しいのですが、鼻に載せるパッドの位置が変えられるタイプでは、それを動かして実質的な度数を変えてしまうことが出来ます。それをやっていたので、本来は使えない、見えないはずの視力を得ていたのです。ですから、度数だけで言えば視力が0.5を切るようなことになりますが、実際のところは、0.8程度の視力を持って運転していたわけです。また、パソコン用眼鏡も同じような事情で、ディスプレイが良く見えるようにしていましたので、使えていたのです。
この他に右目の乱視の具合がひどくなっていることが判明しました。これが更に進めば、手術というレベルです。レンズの度数も限界に近づいています。度数はともかく、角膜か水晶体の球面度に問題が出ているのは面倒な事態です。こればかりは、幾ら乱視用のレンズを調整してもどうしようもありません。可能性としては、コンタクトレンズという手もありますが、どうもあれだけは手が出ません。勘弁してください。
それで、運転用とパソコン用の2つのラインナップだった眼鏡のうち、鼻パットを破損させたのが元パソコン用で実は運転用であったのです。これを運転用として嫁様から譲られたフレームに新しいレンズを入れます。また、読書用としてより近いところに調整した眼鏡を新調します。結局、老眼の為に近場用眼鏡を作ったのと実質的に変わりない感じですが、右目の乱視の程度が上がっていると言う違いもあって、遠、近、近々という使用状況によって眼鏡3本が良しということにしたのでした。
一週間から十日と言うことでしたので、あとは連絡待ちです。
★★2020年01月11日(土)鏡開き干支集合
干支集合
今日は鏡開きです。
毎年、たいまつ食品(新潟県)の鏡餅を買い続け12年、揃いました。子年で揃ったと言うことは丑年から買い始めたということになります。たまたま、嫁様が申年を迎えようとするときに、行き付けでは無かった店に立ち寄って、類似の商品を見つけて買っていたのですが、先ほど、それがマルシン食品(新潟県)のものであったことが本人の調査で判明しました。こちらの方がガッチリと重くお尻まで赤かったし、赤い御座布まで付いていましたが、行きつけのところでは扱っていなかったのです。
揃ってみると、なかなか奥ゆかしいもので、手早く揃えたくなる方が出てくるような気がしました。嫁様が検索すると、売り出している御仁がいらっしゃるとか。 ねえ、売ってるんだって? 今年のネズミ1つで諭吉さん以上の値段。ソールドアウトしてるのもあるわよ。 ふーん、コレクター? 買い逃して血が登っちゃったのよ。 あなたは? 出始めに目をサラのようにして買い逃しなんか無しっ! 逃したら糸目は付けなさそう・・・。
この鏡開きの餅と、栗の甘露煮を使って炊き込みご飯にしたら、それはそれは美味しく戴くことが出来ました。嫁様の発案です。汁物は豚汁で、こちらも美味しく2杯もいってしまいました。
要約すると「高崎市内で11日午前1時半頃、市内スーパー駐車場でエンジンが掛かり施錠されていなかった本庄市在住会社員(44)の軽乗用車を『寒くて歩くのが大変で移動手段として使った』として群馬県高崎市内在住公立中学教諭森下雄太容疑者(27)が12日に逮捕された」というニュースがありました。
わたくし自身の事で言えばその時刻にはグーグー寝ていたのですが。経験として通った学校、勉めた学校で教師を含め学友、生徒が逮捕されたという経験はありません。やはり稀なことです。そういえば異動後に手錠をかけられてニュースに出ていた人はいますが。まあ、それは、アレなら、さもありなんということで・・・。
犯人はともかく、施錠していなかったという被害者はスペアキーを持っていなかったのでしょうか。犯人が悪いのは当然ですが、幾ら治安の良い日本とは言え、持ってかれちゃう可能性なんか考えていなかったと共に、犯罪を誘発した過失があるでしょう。その結果、夜中に温かい車を乗り逃げされてしまったのですから、その部分は相殺でしょうか。車は幸い、その日の午前中に乗り捨てられていたのが発見されたのですから、被害は少ないとみて良いでしょう。でも、見つかったからと言って、すぐ帰してくれたのでしょうかねぇ。証拠品ですから。
まあ、それはともかく、車両が発見されるのはその日の午前中で、特別に手配がされたのでしょう。気になるのは、犯人がどのように判明したのかということです。高崎市と言っても広いので、帰るのに車をかっぱらったとすれば、かなり離れていて、歩くには距離があったし、新年会のようなイベントの帰りであろうと想像するのですが、少なくとも素面では無いでしょう。要は酒酔い運転で居住地近くに放置した車の中に、身元が分かる物を残していたのか、ハンドルやドア等に付いた指紋で判ったのか・・・。ありそうなのは、自分が住んでいる建物に乗り付けていたのか・・・。指紋の場合は、検挙まで行かないまでも指紋を採られた事がないと引っかかりませんしねぇ。
いずれにしても、今、山羊座宮に5個も感受点がありますから、関係者に関係がないはずがありません。そして、半影月蝕、つまり満月が絡んでいないわけはありません。27才であれば、遅くてもこの事件前に誕生日が来ているとしてみれば、木星が天秤座宮にあります。年頭に誕生日を設定すると火星が蟹座宮です。ぐるぐると回してみると、幾つかありそうですが、幾つもあるので決定打となりません。
また、山羊座宮の5個の中には木星が少し離れて8度です。法律に触れることですから、この木星も働いていないはずはありません。もう少し情報が欲しいところですが、これ以上の情報は無理のようですので、こんなところで。
これで、容疑者は職を失い、残りの人生を別の方面で努力しないといけなくなったのです。浪人無しで来たとしたら5年ほどの教職経験で、あらかた業務を掴んでいたかも知れません。落とし穴に落ちたようなものですが、落ちるに至るまでに積み重ねたものがあります。失職という結果が全てではありません。生徒の、同僚の、地域社会の信頼を裏切ったということで、氏名が出ています。これは消えません。「寒くて歩くのが大変」という事態にどう対応したか、選択肢は沢山あったのです。無施錠であることを知るには、ドアに手をかけないと判りません。もうその時点で、犯行を決めていたのでしょう。しかし、どうしてそれを選んだのか。悩んで悩んだ末の判断もあり得るでしょうが、一瞬の判断に人生が掛かっているのです。星が動くとはこのことです。取り返しはできません。そして、これからも。
p.s. 疑問が解消されました。午後に自首したとのことです。午前中に盗んだ車は発見されてしまっていますから、それで観念したのでは遅いですし、酔っていたら何をしても良い訳ではありません。罪が軽くなると計算していのだと断定されても仕方ありません。
p.s.2 採用は小学校だったようで、2018年に中学校に回っています。群馬県の常識は知りませんが、部活動による人事だとしてもいろいろ不思議。
p.s.3 事件を告げる書き込みサイトに、容疑者に世話になった等のフォローを入れるOGを名乗った書き込みを見かけました。高校生位だろうと判断しますが、良い人だったから叩かないでと書きたいのは判ります。しかし、容疑者となってしまったのでは、いかんともし難いことです。つまり、その信頼を裏切ったのです。騙されていたんですよ。この手の報道が出れば、学校名や自宅住所まで、すぐ晒されてしまう現在、教科や担当部活を書いたり、自分がトランペットだとか中途退部したという情報を書いたら、自分まで特定される可能性があることも考えが及ばないのでしょう。こちらも、考えが足りないと思えます。
月齢21.7
日の出前でしたが、そこそこ明るくなって目が覚めました。カーテンを少し開けると、月が居まして半月、半月ちょっと前くらいですね。まだ、撮影が出来そうだと見て、ドームへ上がりました。まだ頭が起きていませんので、持って上がったカメラが改造のヤツだったことに、電源を入れてから気付きました。カメラを取りに一度戻ると、日の出までもう少しかという位に見えましたので、急ぎました。
このところ雪がほとんど振らずに、ドームまで除雪しながら上がっていくという作業がありません。3分で母家から到達出来ます。ロス時間は最小です。ドームに入ってから、撮影まで5分と掛かりません。その時間差で撮れる撮れないが決まることもあります。サクッと撮影して戻ってきました。服を着脱する時間の方が掛かったりします。
ドームの温度計は-8℃でした。冬にしたら温かいものです。時計の付いた温度計はデジタルで-10℃より下がると表示しなくなります。そうなるとパソコンを初めとして電子機器が不満を漏らしますが、その前に動かしていると、問題なく動きます。ですから、一番冷え込む明け方だけ使うのが、一番厳しい状況になります。パソコン本体では、ハードディスクがダダをこねる場合があります。その様な恐れがあるときは、電源を入れません。中を先に温めることが出来ると大丈夫なのですが、パソコンの中を温めると言う部品は売っていません。冷やせるぞと言って余り役に立たないのは沢山あるのですがねぇ。ドライヤーでも仕込むしか無いかも知れません。いっそ、コタツの中に入れるか? -20℃になるようなときは、カメラも心配になりますが、意外にも頑張ってくれます。一応、0℃以上という仕様が説明書にはありますが、使っている中で温度が下がった場合は結構頑張ってくれます。下がった状態で使おうとすると、もしかすると危ないかも知れません。
冷却するとフィルムや撮像素子の性能が上がるというので、カメラを冷やして使うという方法があります。それを常温で使う方法が考えられて性能が劇的にアップして来ていると考えていますが、その様なカメラ達でも、温度が高いよりは低い方が得意のように見えます。ですから、無理矢理、冷やさんでも良くなっているとは言え、この位の温度で使うと、カタログスペックを越える場合があることは経験しています。天然冷却カメラです。
まあ、そうは言っても人間の方は、そんな温度では参ってしまいます。それでも、マイナス一桁ぐらいであれば、なんくるないサーってところでしょうか。-20℃となると、動いていないと危険かも知れません。当ドームではコタツという手があって、何とかなっていますし、そんな時は長居しません。うっかり眠くなったら、直行便で直送されてしまいます。
週が明けてから雪が少し降りました。気温は低いとは言え、日中の日差しを受けて雪が少ないところでは溶ける場所もあります。問題は融けた雪が固まるときに氷になることです。我が家の玄関は西向きですので、少々の雪だと午後の日差しで融けて、再び凍ります。滑らないようにゴムマットを敷いていますが、この状況ではゴムマットの上を氷が覆いますので、役に立っていません。つまり、滑るのです。非常に危険な状態となります。滑らないことを期待して足を載せると、摩擦係数ゼロに近い階段があります。
昨年末、同じように少し雪が降ったときも同じような状況になりました。そのときも、危険を感じて、ヤカンに湯を沸かし、マットの上にかけて氷を溶かし、滑らないようにしました。屋根の雪が融けて落ちた水が、段々と厚く氷になっていくのです。これが、もう一段、寒くなると融けることが無くなり、ゴムマットの上の雪を退かすだけで済むのですが、1月の下旬になっても同じような状況です。単純な気温だけでは判らない状況です。やはり、雪が少ないことや天候、気温も関わっているのでしょう。
で、先日、滑らないだろうと踏んだ足が滑って、危うく転倒しそうになりました。階段の転倒は、平らなところでの転倒に比べると、危険度が更に上がります。落差が増えますし、階段には角があります。高さ分の位置エネルギーと、衝撃を与える面積を減らす角が問題です。平地であれば、下手に転ぶのを防ごうとするより、さっさっとお尻をつけてしまうのが一番です。手は頭をかばいます。歩き方も、転ばないようにビクビクして足を動かすのでは無く。滑ったり躓いたりしたら、すぐお尻をつける体勢にする。これが大事なところです。階段では、身長分も加味されますから、数段でも、2メートルを超える落差があります。これが危険の正体です。勿論、手すりがあれば、安心ですが、手すりを掴もうとして、更に被害を大きくすることもあり得ます。手すりをハナから掴んでいるのも手です。
お気を付けください。
★★2020年01月24日(金)氷筍
氷筍
毎年のことですが、ボイラーの排気筒の下に氷の柱が出来ます。氷筍という用語は余り目にしないのですが、石筍の氷判です。氷柱(つらら)と言うと、水が滴っているところで凍ったものですから、下に伸びます。しかし、水が滴って、下から凍ってゆくのですから、字義としては間違いないでしょう。
例年と比べて今年の違いは、下に地面が見えることです。雪は屋根からの落雪ですから、ガッチリあるように見えますが、庭での純粋な積雪は5センチ位で、暖かい日が続けば、無くなってしまいそうです。例年、この場所では、踏み込めば膝から腰の間くらいは潜り込んでしまうような状況で、入るとすれば、その場で雪を踏みしめながら、歩く道を作って進まないといけないほど、雪が溜まっている状態です。ところが今年は、壁際に地面が出ています。
この氷筍、地面からの高さが98㎝あります。一番太いところで10㎝程度になっていて、一番下の地面に近いところがかなり細くなっています。今まで、下の部分を見た事が無かったのですが、最初の内は、凍ってしまう量が少なかったのでしょうか。また、断面が丸くなくて、壁沿い方向に尖り気味の紡錘形をしています。風の影響かも知れません。
雪が少ないと除雪の手間が減りますから、大変楽なので、このまま春をと願っていると、大抵は帳尻が合うことになります。そうなると、大変になりますから勘弁して欲しいのですが・・・。一番寒い時期は、まだこれからです。雪が足りなくて困っている人も居るようですが、いきなり1メートルなんてのは家で引きこもってしまいそうになります。お願いします。天の神様、極楽の仏様、御先祖の皆々様
、本当によろしくお願いします。
★★2020年01月27日(月)冬の星座とベテルギウス
このところ某配信サイトでニュースが度々、流れていますが、オリオン座ベテルギウスの減光が、これまでより強くなっていて、超新星爆発の兆候かと伝えています。元々、変光星であって、明るさが変わっていますので、減光自体は珍しくも無いのですが、今回はその減光具合が大きくて、2等星クラスにまで落ちています。オリオンの四角形の右上の星はベラトリクスと呼ばれる2等星です。今回は、ベテルギウスの明るさが2等級のベラトリクスと同じかそれ以下?と言う程度まで落ちています。
学者さんの見解に寄れば、ベテルギウスは超新星爆発で星の一生を終えるタイプの星であって、暴走状態の中心部の原子核融合反応の燃料が尽きると、温度が落ちて圧力を維持出来ずに星が一挙に潰れて、超高温の中心部へ外層が落ち込むのだそうです。そうすると核融合が停止寸前のところへ大量の反応可能物が用意されるので、それはそれはもの凄い大爆発を起こすと言うことです。
つまり、大爆発(超新星爆発)の前に一旦、星が潰れて小さくなってから、一世一代の超絶大爆発を起こして、周囲に物質をまき散らすのだそうです。そうなると、もし、ベテルギウスが固体の惑星持ちであったならば、それらは全て蒸発して吹き飛ばされるであろうということです。
距離の比較的近い恒星では、年周視差と呼ばれる角度で距離を示します。これは地球の公転によって、どれだけ星の位置が変わってみられるかを数値化したもので、角度の1秒になる距離を1パーセクと呼び、光の速度で3.26年かかることから、3.26光年とします。年と付いていますが、時間では無く、距離の単位です。年周視差と距離は逆比例しています。ベテルギウスの年周視差は0.005秒となっています。ここから計算すると652光年という数値が出ます。しかし、元の角度の数値の精度は1桁程度を期待出来るだけですので、頭から2桁目を見れば切上か切捨か迷うような数字です。そこで六百光年から七百光年位だということになります。
もし、たった今、爆発したら、我々がそれを知るのは6-700年後ということになります。逆に言えば、我々が観測出来たとすれば、事件は6-700年前に起こったということになります。いずれにしても、我々は爆発の光が到着するまで、その事実を知り得ないのです。
そして、光は最速ですので一番に到着します。中には放射線がぁぁぁ、等と叫ぶ方が出そうですが、もっと強力な放射をしているものがあって、我々はその恩恵を受けて生活しているのですから、何の心配もありません。いや、太陽のことですよ。更に爆風が来るぞってんで、恐々とする方々が出るかも知れませんが、これも杞憂です。光の速さでやって来ても六-七百年かかるのですから、それより何桁も遅い爆風がやって来るとしても何万年も先の話です。
牡牛座に、かに星雲という惑星状星雲があります。メシエナンバー1番に載っていますが、これも超新星の爆発痕で、西暦1054年に見えた新星の痕跡と考えられています。千年近く経っているのですが、吹き飛ばされた微塵やガス等の様子が望遠鏡で見えます。撮影された姿はそれほど大きくなく、それでも次第に広がっているのが判ります。
オリオンの東側の肩に近い一角獣座領域にバラ星雲があります。このバラ星雲は直径百五十光年に足りない程度の卵形の領域に特に濃い星間物質が集まっているのですが、O型の星が結構あります。このO型の星は超新星爆発の候補者達です。既に超新星爆発が幾つもあったはずです。それでも、バラ星雲の広がりはこの程度の中に収まっています。宇宙空間の広さは正に桁違いなのです。
では、ベテルギウスが超新星爆発を起こしたならば、どの様に見えるのでしょうか。
推定されているベテルギウスは連星系では無いので、Ⅱ型の爆発をすると見られます。しかし、Ⅱ型の爆発は定型化されたⅠ型と違って変異の幅が広く、爆発の様相は判っていないに等しいので、今までの観測による増光と減光の様子から推定することしか出来ません。絶対等級で-17等級程度のものが多いのですが、減光がすぐに始まるものや、100日程度の一定状態からやっと減光するものもあります。また、最大光度も-21等級のものも報告されていて、精々、目安でしかありません。研究材料が増えてきているとは言え、潤沢にあるわけでは無く、研究者も苦労している様子です。
さて、星の中心部では、何が起こるのでしょうか。
ベテルギウスの質量は太陽の8倍を超えた20倍と見られていますので、中心部においては最終段階の爆縮、縮退が起こると考えられています。物質(原子)が持つエネルギーが大きくなり(つまり、温度が上がるのです)、それを押さえ込むのが圧力(重力によります)です。しかし、鉄まで行った核融合反応は、それ以上進むことが出来ません。つまり、温度を上げる為の熱源が無くなります。温度が上がり、ニュートリノが発生するようになると、他の粒子に邪魔されないニュートリノは、エネルギーを持って、星の外部へと逃げてしまいます。温度が下がってしまうわけです。すると圧力を上げないと、外側からの圧力を支えきれなくなりますから、圧縮されます。
そして、圧縮によって、今まで核融合反応によって蓄積されてきた鉄が、遂に高エネルギーの光子により一挙にヘリウムと中性子に分解され、ヘリウムも遅滞なく中性子と陽子に分解されます。生じた陽子は、光子を捕獲し中性子と変わります。これが最終段階の反応です。この過程は秒以下の速度で進むと考えられ、温度が一挙に下がり、圧力が失われます。結果、支えを失ったコア部分は、重力の力で収縮をすることになります。先ほどの星の質量が太陽の8倍を超えるという条件は、ここまでの現象を引き起こす素粒子レベルの反応を引き起こす条件とされています。ですから、ベテルギウスでは、縮退がアッと言う間に進み、コアでは中性子の核が形成されると見られます。そして、同時に星の外層部が中心へと向かって落下、核反応の材料である水素が、一挙に高温域に突入し、核融合を起こして爆散します。これが、考えられるシナリオです。
質量が更に大きく、もう一桁、質量のある星では、中性子の核が更に圧縮され、脱出速度が光速を越えるブラックホールになる可能性が出て来ます。
太陽くらいの大きさで単独の星では、核での融合反応の材料が無くなると、温度が下がり、核の部分が白色矮星となって、冷えていくだけの大人しい終わり方をすると考えられています。
ベテルギウスが単独星・赤色巨星であることから、Ⅱ型タイプの超新星爆発であろうと見られていますので、絶対等級にして-17等級の爆発であるとすると、ベテルギウスの絶対光度が-5.5等級と見られていますので、11.5等級の増光が考えられます。ベテルギウスの光度は0.0から1.3等級の変光星ですから、計算上-11.5等から-10等級程度の最大光度があると見られます。
月の明るさは、満月で-12.6、半月で-9.9等級です。従って、満月より暗いけれど、半月よりは明るいというのが、推定の計算結果です。プラマイ2等級を見込めば月齢5日(25日)から満月越え程度の範囲で、平均としては半月より暗い程度の最大光度が予想出来るということになります。
ベテルギウスが、もし、超新星爆発をしたら、オリオン座付近の散光星雲を撮影するのが、しばらくは、少なくとも半年、1年位は難しくなるかも知れません。天候と空の様子次第ですが、地上からは大気の影響が大きいので、今でさえ月の無いときを選ぶのですからね。
このベテルギウスですが、黄道面上に投影すると、双子座宮の28度になります。夏至のときの太陽位置に近いわけです。占星術的な意味で言えば何やらありそうですが、このような明るい新星現象は、滅多にありませんので研究事例も当然のことですが見あたりません。何かあれば面白いのですがねぇ。
と言うことで、占星術では決定的な方法論を見いだしかねたので、その様なときの懐刀、易経です。出した卦は震為雷三爻変が出ました。雷が重なっています。突然の雷でビックリの二乗の卦です、懼れ慎んでいれば咎無しですので、気を確かに持って、落ち着いて行動せよとの御言葉です。ドカンと来たときはヒィーッとなってしまうが後でナァーンダと笑い出す。慌てて大切なものを無くすな。とのアドバイスがあります。
三爻というのは、多くの卦で不安定な立場を意味しますが、懼れ謹んで、初九(初爻の陽)と協力し震いて事に当たればわざわいなしと書かれています。
判断としては、結局は、驚いただけの話で終わるというのが落ちです。題材となるのは雷様や地震ですが、地震の場合は、ことによっては、てーへんな目に合いますから、こちらの方が大ごとです。象徴としての雷は春、数字として3と8、卯の刻(3~5時)ですから、3月? まあ、幾ら時期が近いと言っても、相手は太陽よりもはるかに巨大な天体とはいえ、はるか彼方の出来事ですので、その程度のことと割り切って、花火でも愉しむ気になっていればOKだと言う結論です。