B望遠鏡の発達
1608年のリッペルスハイによる望遠鏡の製作は、彼自身の発明者としては認定されず、使用目的が軍事的なものであることからも秘密にされましたが、レンズを組み合わせるというヒントは眼鏡職人のギルドに情報として流れました。これを知ったガリレオ・ガリレイは、光学理論を展開して焦点距離の長い凸レンズと短い凹レンズを組み合わせた望遠鏡の作成に成功します。リッペルスハイの方法と同じなのですが、理論付けと実際に成功していることにより、現地の大学の教授の地位を得ることができました。彼の製作した望遠鏡は口径4センチ強、長さ2.5m、9倍のものであって、実用上それ程使いやすい物ではなかったと思われますが、肉眼をはるかに超える能力がありました。現在では、この光学理論と、望遠鏡を空に向けた功績が評価されて、この方式のレンズ系はガリレオ式と呼ばれています。
天体望遠鏡はその能力を高めるために、より大きなもの、精度の良いものを作成する事が求められ、望遠鏡の製造技術の向上をもたらすことになります。当時の製造技術は途上にあり、均質なガラスを作る事や研磨の方法についても偶然うまく出来たという状態でした。レンズについても良いものは天然水晶から作られた物に限られていたのです。
ガリレオ式は、倍率を上げると視野が極端に狭くなる事と、見たときにピントが合う場所が無くて十字線等の目標を入れられないことが欠点です。ケプラーはこの点を改良するために焦点距離の違う凸レンズ2枚を組み合わせた方式を1611年に提案しました。この方式は見えるものが上下左右逆の像になりますので、それを正すレンズ系も必要になります。実際にこのケプラー式が作られたのは1615年のことになります。
2つの方式のどちらを使っても、この時代のレンズは単レンズです。現在では当たり前となっている色消しの技術が無いために、色収差を防ぐことはできません。色収差を目立たなくさせるためには、非常に暗い(F数の大きい=焦点距離の長い)レンズを物体側(対物)に使うことになります。色収差を一定量に抑えるためには、口径の二乗に比例して焦点距離を伸ばさなければならないのです。従ってレンズの大きさを大きくしようとすると、焦点距離をはるかに伸ばさなければならないので、大きな望遠鏡を作る場合は筒を作成することができずに、レンズを空中に針金で支える空気望遠鏡が作られました。
光は材質の違う部分を斜めに通過する時に曲がる、つまり屈折します。その際に、色によって曲がる角度が違う事からプリズムによる色分散が起こります。このことから、プリズムと同じ効果がレンズで起こります。これを色収差と呼びます。これに気づいたニュートンはレンズの色収差は除けないものとしてあきらめてしまいました。ガラス材によって色分散の性質が違う事が判り、それを組み合わせることで色収差を補正するという考え方が出てくるのは少し後になります。ニュートンは色収差を嫌い、原理的にそれが起こらない反射鏡を使う望遠鏡に転向しました。反射鏡を使う方法は、1616年に遠くを見るために修道士が凹面鏡を凸レンズで斜めに覗いて観察したという記録が残っています。今で言うハーシェル式の見方です。この事からすると、反射式望遠鏡はレンズ式望遠鏡とそう変わりない歴史を持っていると考えて良いでしょう。本格的に反射鏡を使う方式はマーセンが1636年に提案しています。マーセンの方式は反射鏡のみを使う方法で、それぞれガリレオ式のレンズを反射鏡に置き換えた純粋の反射望遠鏡です。また、1663年にはグレゴリーが反射鏡を2枚、主鏡と副鏡を使い、接眼側にはレンズを使う方式を提案しています。当時の鏡は金属鏡であり反射率は6割程度であるために、2回反射させると実際の3割程度に減光してしまいます。また、作成方法は球面を作る方式しか無く、また出来た面を検査する方法もありませんでした。この点は後にフーコーが開発します。この時代は出来たレンズも鏡も実際に使ってみないと使えるかどうか判らなかったのです。当時の技術的な問題を乗り越えるためにハーシェルは鏡を1枚のみ使うことにして、出来るだけ大きくし、筒の縁から斜めからのぞき込む方法を取りました。この形は斜めに使うために像がひずみます。ニュートンはこれを改良するために平面鏡を使い光軸を筒外に導く方法を発案しました。
1729年にイギリスのホールは、違う性質のガラス材を組み合わせて色消しレンズを作成するというアイデアを知り、これに成功しました。この事から屈折望遠鏡に新しい道が開かれましたが、問題はガラス材の作成の技術です。大きなものを作るためにはいつまでも天然水晶に頼っていることは出来ません。この技術が進むにつれて良いものが作られるようなったのです。また、光学系の収差は色収差だけでなく、製造上の欠点を完全に除去したとしても、他の収差、球面収差・コマ収差・非点収差・湾曲収差・歪曲収差というようなものを補正する必要があります。これを実現するには対物レンズ1枚では不可能です。硝材を2つ以上使い4面以上の屈折面を使って各収差を実用上充分なところまで少なくするのが望遠鏡の光学的設計です。しかし、直径が1メートルを超えるようなレンズでは、製造の困難さと共に、自重で起こるたわみや、厚いことによって減光することが決定的な要因となって作られなくなりました。これより大口径の望遠鏡は反射式が占める時代が来ます。
ガラス材が良くなるとレンズの質も良くなりますが、ガラスメッキが可能になると反射鏡にもガラスを使うようになりました。現在では、特殊なガラス材を作ることが出来るようになったために色消しの技術も一段と進むようになりましたが、大きなガラス材の作成は現在でも難関ですから、直径30センチを超えない程度の望遠鏡で高性能なものが作られています。しかし、反射鏡に使うガラスは、レンズよりもガラス材に関する制限は減りますので、より大きなものが作られるようになりました。反射鏡用として温度変化の少ないものが次々と開発されて使用されてきています。
地上の物体に向けて使う望遠鏡は概して小型に作り、持ち運びの便を図りますが、研究の為の天体用は大型化・固定式になり、天体に向けるための特別な架台が作られるようになりました。
現在では、硝材としてかなり性能の良いものも作られ、研磨の技術も機械研磨でかなりの精度の非球面が容易になったことから、光学系の設計の自由度が上がり、望遠鏡自体の質的な変化が起こっています。特に接眼鏡は古典的な形式のものから、覗きやすく広視界のものが作られるようになりました。