宇宙論

  古代文明
 世という漢字には過去・現在・未来の三世、つまり時間を示し、界は東西南北上下、つまり空間を示しています。そして、この二つの組み合わせは主に人間の住むところや行動範囲を表しています。これに対して宇宙という言葉があります。宇は天地四方として天の覆う所を示し、宙は古往今来の意で地の由る所。合わせて天地を意味し、万物を包容する空間を指しています。つまり、人間のたどり着ける場所である世界は、たどり着くことが出来ないにしろ見たり感じたりする事の出来る宇宙の中にあります。人類の行動範囲が広がるにつれて世界は広がってきましたが、同じように、宇宙がどうなっているのかについての考え方、宇宙観も変わってきました。
 世界観として、最初がどの様な考えであったのかはよく判りません。しかし、少なくとも海が平らであるというのはすぐ違うというのが判ります。遠くを見るには上に登らないといけないのですから、湾曲していると言うことが判ります。地上は高低がありますから、よく判りませんので、海を行動圏としない民族では、海が丸いという考えは出て来ないでしょう。これらについては、それぞれの例について研究が必要です。
 海洋民族であったバイキングが世界の果てはどうなっているのかを知る為に、北へ向かった事があるそうです。進むにつれて段々と暗くなり、日が昇らない暗い海で氷の壁に突き当たり、世界の果てに落ちないように氷の壁があるのだと思って引き返したという記録があるそうです。確かな記録としてはマゼランの世界周航で我々が住んでいる場所が球体であるという決定的な証拠が得られました。
 それ以前でもエジプト文明では地球という概念を持っていたようです。古代エジプトでは、ヌト神とゲブ神が抱き合っていたところを引き離された間に出来た空間が世界であるという考えが石版に書かれていますが、同時に2つの都市での夏至の太陽高度から地球の大きさを計算していたらしいことが判っています。また、月蝕が太陽の光を遮った地球の影であり、それが丸いことからも地球という存在を認識していたようです。
 これに対して、古代インドでは、ヘビの上にカメが乗り、その上にゾウが乗って、その上に人間の住む世界があるという考え方があったようです。数学的にはゼロを持つほどの文化を持っていたのですが、具体的な観測と計算には向いていなかったようです。
 エジプトの流れを汲み、我々の考え方の源流となる古代ギリシア・古代ローマ文明では、誤って天動説と訳された、地中心説が発達しました。中でもプトレマイオスの体系は大変良い出来で、惑星位置の計算が当時としては充分な程度で出来たのです。この結果、その後の文化的な進展は大きなものがありませんでした。

  近代文明
 中世と呼ばれる停滞期からヨーロッパが科学技術の発展期を迎えます。最初の刺激は古代ギリシア・古代ローマ文明の伝統を受け継ぎ発展させてきた中東文化の流入です。宗教的な信仰と現実に解消できない違いが出てきます。天動説(地中心説)でも地動説(太陽中心説)でも、惑星位置の計算が正確に出来れば良いはずですが、現実にはこうであるべきだという考えが先に立って、主義主張の争いが起こります。過去の理念としての宇宙のとらえ方は、観測と原理を追求する方法論に合わなくなった場合の勝者は明らかです。しかし、負けを認めない人々は屈服することはありません。
 そのような反対者がいても、科学的方法と呼ばれる観測と原理を追求する方法論は支持され、徐々にではありますが、力を得ていきます。

  万有引力の法則
 観測によって、この世界を理解しようとする方法が近代的な考え方です。チコ・ブラーエによる火星の位置から経験法則としてのケプラーの法則、そしてニュートンの万有引力の法則で天体の運行についての原理が明らかにされました。この微分方程式を解く為の数学的な処理方法が開発されて、地中心説は影を潜め、太陽中心説から太陽系重心を中心とする宇宙論になったのです。
 この万有引力の法則による宇宙論のばく進は、海王星の発見で頂点を迎えます。この宇宙は万有引力によって完全に解明されると誰もが信じたのです。
 今も万有引力の法則が否定されたわけではありません。より精密化されて相対論が導入されただけであり、更に精密化の為に研究が続いていますが、なかなか難しいようです。

  ハーシェルの宇宙
 天文学者はこの宇宙がどうなっているのかを観測から導こうと努力しました。その最初がハーシェルによるこの宇宙の広がりについての研究です。
 彼は反射鏡を使う望遠鏡を作り、この宇宙の姿を明らかにしようとしました。その為には星までの距離を推定しなければならないのです。当時は既に太陽の周りを回る地球の軌道が直径3億qあることが判っていたのでこれを基線として三角測量が使えると想像されていました。この方法は今でも使う事の出来る決定的な距離の計測方法です。地球軌道の両端から星を観測すれば観測される位置が違うので、その違い、視差から距離が計算できるはずです。しかし、たいへんな努力をしてこれを試みたのですが、視差を測定することはできませんでした。この時代では星の位置を計る精度が足りなかったのです。星の位置を計るには、2つの方法があります。
 絶対的な方法として、子午線(真北から天の北極、天頂を通り、真南に通じる天球上の大円)を通過する時刻とその時の時角で赤経を計り、天の赤道や北極からの角度で赤緯を計ります。この方法では、時刻を計る方法の精度が赤経位置の精度となり、分度器の精度が赤緯の精度となります。実際のところ、眼視観測で2ミリ秒、1秒の500分の1を測定するのは無理というものです。これを明確に区別する精度が必要でした。
 もう一つの方法は、近くの星との位置関係によって位置を定める相対的な方法です。これも精度的には写真術が必要な世界です。しかし、望遠鏡による観測には大気の揺らぎがありますので、写真を使っても1秒角以下の精度を出すのはなかなか難しいことです。
 距離の測定に失敗した彼は、次善の方法として次の様な条件を仮定しました。
 @ 宇宙の果てまでの距離はいろいろある。
 A 星の明るさは一定で、間隔も一定である。
 彼は星がいっぱい見える方向は宇宙がそれだけ深く彼方まであり、星が少ない方向は宇宙の果てがそれだけ近いのだと考えたのです。そして、観測結果と照らし合わせて、銀河方向に宇宙は奥深く広がり、トゲや張り出しの一杯ある円盤状の宇宙を導きました。彼が想定した距離からすると、宇宙は直径約七千光年、厚いところで約千光年の大きさとなります。よくこの大きさを持って、銀河系と比較し、ハーシェルの未熟を語る方がいますが、これは立派な観測結果であり、当時の技術の最先端を超える成果です。今同じ事をしても同じ結果を得ることが出来ます。現代から見れば、星間吸収を考慮できなかった為の結果であり、星間吸収を知らなかったのはハーシェルの責任ではありません。当時の最高の観測による宇宙観であったのです。

  カプタインの宇宙
 二十世紀になって星の距離を測る方法が幾つも開発されていました。そこで、長老となっていたオランダのカプタインが音頭を取り、全天を測定するのは作業量として困難ですから、特定の領域を選んだ上で国際協力をして仕事を分散させ、彼の元に資料を集約しました。1922年に出した結果は、直径6万光年で太陽が中心からやや離れているモデルです。中心から離れるに従い星の密度が下がっていきます。ハーシェルの宇宙から大分大きくはなりましたが、これが宇宙の姿であると言う考え方には変わりがなかったのです。

  シャプレイの宇宙
 カプタインの宇宙の発表に前後して、シャプレイが別の観点からこの宇宙の姿を見いだしました。彼は星々の間に光を遮る物質があることと、そのことにより観測が惑わされていると考え、それらが少ないと考えた方向にある球状星団に注目しました。球状星団までの距離は三角測量では不可能であったので、各種の推定を持って判定しました。当初は直径30万光年、後に15万光年という数値を出し、太陽の位置は中心から半径の半分以上離れているというモデルでした。
 当時、シャプレイの宇宙とカプタインの宇宙は学会を二分する論争になったのですが、結局はどちらも決定打を持たずにハッブルの銀河までの距離の測定を待つことになります。

  ハッブルによる星雲までの距離の測定
 ハッブルは星に分解できる星雲を選び、その中の変光星に着目しました。変光星には幾つかの種類があるのですが、その中でも星自身の大きさを変えるタイプの変光星には明るさと周期の間に関係があることが判ってきていました。明るいものほど周期が長くなります。これをケフェウス型脈動変光星、ケフェイドと呼びます。ケフェウス座δ星が代表となっている為にこの名前がついています。この変光星は現在でも距離を推測する手段として使われています。
 この周期測定の結果、アンドロメダ大星雲や三角座大星雲までの距離が、シャプレイやカプタインが求めた宇宙の広がりよりもはるかに大きいことが判りました。アンドロメダ大星雲まで100万光年というのが当初、計算された値でした。後にケフェイドには1.5〜2等級暗い第U種族が発見されて、距離が230万光年と改訂されましたが、それまでの宇宙の広さよりも遙かに遠いところにあることがはっきりしたのです。その距離と広がりから、それらの大星雲が、我々が宇宙と思っていた星の集団と変わりない規模の星の大集団であることも判ったのです。宇宙は格段に広いものとなってきました。
 そこで、今まで宇宙だと思っていた星の集団を銀河系、天の川銀河と呼び、遠い星雲を小宇宙、そして単に銀河と呼ぶようになったのです。

  ハッブルの法則
 ハッブルはアンドロメダ大星雲の他に23個の銀河の距離の推定と分光観測の結果を合わせて、距離と光の波長のズレに相関があることを見いだしました。ほとんどの銀河からの光が赤い方へ変位していることから、これを赤方変位と呼び、この原因を遠ざかっていることによるドップラー効果としてとらえ、遠方の銀河ほど我々から遠ざかっているという考えを出しました。
 これは宇宙が膨張しているということを示していて、定常宇宙と膨張宇宙の論争を決定的に左右しました。

  ビック・バン
 今、我々はビッグ・バンと命名されたこの世の始まり、宇宙の始まりを想定しています。宇宙はそこから創造されたことになっています。そして、この宇宙は遠いところほど速く膨張し、その速度が光速を越えるところに観測限界があることになっています。そう考えることが、今までの観測結果の解釈に矛盾しないと主張されています。しかし、現在の我々が知り得ないことが無い訳ではありませんから、新たな事実や思考形態が出てきて変わるということもあるでしょう。現にこのビッグバン理論で何もかも説明が出来ているという状況でないことは確かです。
 特異点が存在すること自体が理論の破綻があることを示していますし、膨張速度が加速しているという観測結果(正確には推定距離と赤方変位の関係)に対して、加速する原因として物質間に斥力を持つ物質を仮定しなければならなくなっています。
 光が伝搬する為の媒質を必要とすると考え世界エーテルを仮定したような状況です。結局、光は媒体が無くても伝わり、エーテルは必要なかったのですが、それが判るまで、物理学者達は懸命にエーテル理論をいじっていたのです。


  これから先
 今、必要とされているのは正確な距離の推定です。何もかも、ここが原点となっています。今、衛星に載せた望遠鏡を使って年周視差を観測することにより300光年までの距離が測定できます。しかし、必要な距離はハーシェルにも劣っています。曖昧な間接的距離推定ではなく、更に高精度な視差測定による正確な距離が必要なのです。研究者は超新星に活路を見いだしていますが、結果が拡散していくのは目に見えています。
 ことによると、別の物理学的方法または思考で突破口が開かれるかも知れません。電磁波の性質が判ってきてエーテルなんて余計なものは要らなくなったのですから。

 現在、当然のこととして言われていることでも、変わらないわけではなく、より一層の研究が必要であり、宇宙の始まりや進化に対する単純な答えを期待できなくなっています。端的に言えば世界像や世界観についての考え方が量子的な揺らぎを持ってきているのです。
 宇宙観は1つの文明の中でも分派や地域差、それぞれの中でも変遷があります。宗教的な規制の中で育まれる思考形態と歴史的な経緯があって形作られるもので、現に我々の歴史の中でも、幾多の主張と過去があります。そして、現在我々が正しいと信じている宇宙像、宇宙観ですら、我々の文明の中の今という時期のものでしかないのです。