天体力学
ニュートンは天体力学の始祖とされています。彼は数学を得意として、運動の法則を惑星に適用させてケプラーの法則が成り立つには、物体の間に引力が働き、その力は質量及び距離の逆二乗に比例することを導きました。これが万有引力の法則です。
ニュートンの万有引力は、背景として時間、空間の絶対性を重要視するプラトン主義の考え方があり、瞬時に伝わると考えます。この力が働く結果、惑星の軌道は円、楕円、放物線、双曲線という二次曲線になる事が示されます。
ケプラーの法則
第1法則(楕円軌道の法則)
惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。
第2法則(面積速度一定の法則)
惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である。
第3法則(調和の法則)
惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する。
運動の法則
第1法則 慣性の法則
外力が加わらなければ、質点はその運動状態を維持する。静止している質点は静止し続ける。
第2法則 運動方程式
質点の運動の時間的変化は、それにかかる力の大きさに比例し、力の方向に作用する。
第3法則 作用反作用
二つの質点があって片方からもう一方の質点に力を作用させる場合、力の作用は一方通行ではなく反作用の力が働く。これらの力は大きさが等しく、方向が逆である。
万有引力の法則
2つの質点間には引力が働く。引力は2つの質点の質量の積に比例し距離の二乗に反比例する。
ハーシェルが発見した新天体は、当初は彗星と思われていたのですが、レクセールが1年かかって太陽を巡る円軌道を持っていることを突き止め新惑星であることが確定しました。発見は偶然でしたが、確定は天体力学の成果となりました。ここで、天体力学の能力が世に知られるようになり、ガレによる1846年9月23日に海王星が発見されるにいたり、その頂点に達します。天王星の軌道計算と観測位置が合わないことから、フランスのルヴェリエとイギリスのアダムズが独立して軌道を乱す原因惑星を予想し、その予想位置からそれほど離れていないところで発見されています。天体力学の輝かしい成果となりました。
太陽と1つの惑星の動きはケプラーの法則で比較的簡単に解くことが出来ます。しかし、惑星をもう1つ追加すると、その運動が解析的には解けなくなります。初期条件のほんのちょっとした違いが天体の軌道に大きく影響するということであり、ここからカオスという考え方も必要になってきます。ポアンカレは、この計算が解析不能であることを証明しました。その後、特別な解があることをオイラーが突き止め、オイラーの直線解として3点を上げています。更にラグランジュが1772年にオイラーの直線解が一般解として成立し、更に正三角形解として2点を追加しました。この事から5点の位置を、ラグランジュ・ポイントと呼ぶようになっています。
研究が進む中、海王星の位置観測と軌道計算位置に明らかな違いがあり、このことから更に外側の新惑星が予想されました。しかし、ことはうまく進まず、冥王星はしらみつぶしの探索の結果発見されました。また、水星の近日点移動の原因も天体力学では謎とされていました。これらの解析には、より精密な計算をするための太陽系近傍の状況や相対性理論を使う必要があったのです。しかし、全く違った計算をするのではなく、天体力学の計算に補正項が追加され計算が複雑になると考えればよいのです。
天体力学により全ての天体が計算可能になるということは、多体問題と相対論の追加で否定され、アリストテレスに始まる機械的宇宙論はここでやっと終わりとなったのです。