英雄ペルセウスの物語
大洋神オーケアノスと、その妻テーテユースの子に、イーナコスがいます。彼はギリシアの一州アルゴスを貫流する河イーナコスの流域を守る河神ででした。ギリシアの最も古い伝説の王家として、このイーナコスの血統は、知られています。女神へーラー崇拝の中心地、アルゴスの社に仕える巫女であったイーナコスの血を引くイーオーはゼウスに認められ、大変な苦労をして、王家の血筋を残します。その子孫にアバースそして、その子にアクリシオスがいます。
アクリシオス王は娘を一人ダナエーを授かりましたが、他に子種がないので神託を伺ったところ、ダナエーから息子が生れ、その子は将来祖父の王を殺すだろう、と予言されたのです。そこで王は大いに恐れかつ驚いて、青銅の密室を地下に、あるいは高い塔の中に設け、厳重に戸締りをしてその中にダナエーを住まわせ、何人にも近づくことを禁じました。
ところが、伝説によると、大神ゼウスがこれを認めて黄金の雨と変じてダナエーの許に通ったととされています。娘が懐妊し、やがて子を産むほどになったのを始めて知って、(一説では、娘と番人の女とが共謀して隠し、子供が三、四歳になってはじめて、声を聞きつけて知った、という)アクリシオスは雷に撃たれたほどびっくりしました。しかし一人娘でもあり、どんなに怒っても、手を下して殺すわけにもいかず、ダナエーと男児とを木の箱に封じ込み、上に息抜きの穴をあけて、海へと投げ入れたのです。二人の運命を波と風とに委ねたのです。
アルゴスの浜辺からその木箱は波に揺られて、やがてアイガイアの海中に浮ぶセーリボス島に着きました。ゼウスの意向を受けて女神アテーナーが母子を導いたのです。その箱を拾い上げたのは島の王ポリュデクテースの弟ディクテュス(網の意)でした。
ポリュデクテースとディクテュスの兄弟は、ダナイデスの一人アミューモーネーの子孫に当っています。そして我儘放題の強欲な兄に比べ、漁をして暮している弟ディクテュスは、気立の優しい親切な男でした。この人物にかくまわれ、その扶養を受けて、母子はようやく平安な年月を送り、幼いペルセウスもついに成人の日を迎えることができました。
しかし、思いがけぬ心配が母子の上に降りかかってきます。それはポリュデクテ一スが、子供が成人したとはいえ、まだまだ若さと美貌を保っているダナエーに懸想し、しきりに言い寄るようになったのです。もとよりダナエーには、小さな島の我儘な王などになびく心は一筋もありません。しかし度かさなれは、断わるのも難しくなってきます。ただ、雄々しく凛々しく育った息子ペルセウスだけが頼みです。
ポリュデクテースも同じ思いで、この丈も高く動作もきびきびとして、腕力も逞しい息子が、何よりも煙たく思っていました。彼を何とかしたいと、いろいろに思案した王は、あるとき祝宴への進物を募るといって、島の主だった人々を招き、各自に馬を要求しました。ところが同じ席に居合せたペルセウスは、他家の世話を受ける身のこと、馬など到底思いもよらないので、当惑しながら王に弁解をし、自分の腕で取れるものなら、たとえゴルゴーンの首でも持って来てさし上げようか、と断わりを言ったのです。もとより王は何か難題を吹きかけようという心組みだったので、ここぞとばかり、意地悪くも、では是非そのゴルゴーンの首を取って来てくれ、と言い渡しました。
このゴルゴーンというのは、海と大地の子であるポルキュース(またはポルコス)とケートーが生んだ娘たちです。が、その頭髪はことごとく蛇で、歯は猪の牙のよう、手は青銅、黄金の翼をもって飛行したといいます。しかもその顔を見る者を、立ちどころに石にする力をもっているのです。その棲処も人界から遠く、極洋のかなたの果て、夜と昼が境を接するところ、ヘスペリデスの苑の近くに棲んでいるといわれています。彼女らは初めから怖ろしい姿なのではなく、美しい顔と髪を持つ少女だったのですがポセイドンの寵愛を受け、その妻アンピトリーテーの憎しみと呪いを受けて二目と見られぬ姿になってしまったのです。そこへの道を知っているのは、彼らの姉妹に当るグライアイ(老婆の精)だけなのです。
しかしペルセウスには、強力な援助者がいました。父ゼウス自身はへーラーの手前、直接手は出せませんが、女神アテーナーは彼の案内者かつ指導役をつとめ、ヘルメース神は「隠れ兜」と「飛行靴」を貸してくれ、また流れのニンフ、ナイアデスがキビシスという袋をゴルゴーンの首を入れるために貸してくれました。うっかりして石に化っては大変だからです。
アテーナー女神は、まずペルセウスをダライアイのところへ連れていきました。ゴルゴーンたちの居処を知ってるのは、彼女らだけだからです。これはユニューオー、ぺブレードー、ベルソー(またはデイノー)という三人の老婆の姿をした妖女で、日の光も月の影もささぬ洞穴の中に住んでいました。そして三人でもって、一つの眼と一つの歯しか持っていず、入用の場合はそれを手から手へ渡し、眼の穴や口に嵌め込んで使うのです。
ペルセウスは隠れ兜をかぶって身を隠し、そっとその傍へ忍び込み、一人の老婆がもう一人へ、ちょうど渡そうとした眼を、取り上げてしまいました。そして、この眼を使って老婆たちを強迫し、ゴルゴーンの住処を言わせたのです。
ペルセウスがその住処にやってきた時、三人のゴルゴーンたちはちょうど眠っていました。そのうちステノー、エウリユアレーの二人は不死身で、末のメドゥーサだけが殺すことが出来ます。ペルセウスは、メドゥーサの首を取るつもりです。しかし、まともに入って行くことは出来ません。うっかり顔を見れは、たちまち石になってしまうのです。アテーナー女神は、鏡のように磨き上げた青銅の楯を貸し与えて、その中の像をたよりに目的を遂げるよう教えました。ヘルメース神は鋼鉄の鎌をさずけました。この2つの武器を使ってペルセウスは難なくメドゥーサの首を切り取り、これをキビシスの中へ収めました。そのとき、ほとばしった血の中からポセイドンの子として天馬ペーガソスが生まれたことになっています。首の切口から烈しい音が洩れ出て、眠っている他のゴルゴーンたちを起こしてしまいます。二人は首を切られた妹を見ると大いに怒り、犯人を捕えようと羽掃きも凄まじく、犯人を捜してあたりを飛び回りました。しかし、ぺルセウスは隠れ兜を着けているので、見つかられずに、いち早く飛行靴で逃げのびたのです。一説によれば生まれ出た天馬ペーガソスに乗って逃れたようです。
そこからセーリポスへ帰る途中で、彼はエチオピア(アイティオピアー)の上を通りかかりました。見ると波の打ち寄せる崖に、人が縛りつけられています。不思議に思い、何事かと立ち降りて近くへ寄ると、それは妙齢の大変な美人が涙を流して鎖で縛り付けられているのです。訳を聞くと彼女は土地の王ケーベウスの娘で、アンドロメダー王女であり、国に降りかかった災害を収める為に生け贄になるところだというのです。国に洪水が巻き起こり、海岸では怪獣が暴れるので、アンモーン神の託宣を受けたところ、王妃のカッシオペイアが、海に棲むネーレイデスでも自分に及ぶ者はあるまい、などと器量自慢をした為に、王妃の思い上がりに腹を立てたネーレイデスがポセイドーン神に頼んで起こした災害であり、この禍いをとり除くには、王女アンドロメダーを生け贄にする外はないとのことだったのです。
これを知ったペルセウスは直ちに王宮を訪ねて、ケーぺウスに彼女の救済を約束し、その褒美に王女との婚約をもとめました。怪獣に食われるよりは、どんな人間でもましなところ、王は一議に及ばず、誓いを立てて承諾しました。
ペルセウスはアンドロメダーにゴルゴーンの首を持っていることを明かし、何があっても目を開くなと告げて、岩蔭にかくれました。怪物が波間から現われ、ペルセウスに気づいて襲いかかろうとしたところ、メドゥーサの首を突きつけられて、化石となり海に沈んでいきました。
こうしてアンドロメダーと手を繋ぎつつペルセウスは王宮に戻って来たのですが、それを見たケーぺウスの兄弟のピーネウスは、にわかに騒ぎ始めました。彼は王女の婚約者だったのです。怪物の出現と神託で、真っ先にアンドロメダーを鎖で縛ったにもかかわらず、怪物が倒されたこともあって、王女と王位とに対し色と欲から軍勢を率いて王宮におし寄せました。しかし、ペルセウスは少しも騒がず、王女たちを下がらせ、ピーネウスの一党が馳けよるところへ、袋から出したゴルゴーンの首をさし付け、そのまま石にしてしまったのです。
ペルセウスは一年ほど、この地に逗留し、アンドロメダーとの間に生れた男児を父王の後嗣として残して、ようやくペルセウスは新婦と共にセーリボス島に帰りました。ちょうどその頃、ポリユデクテースの乱暴はいよいよ度を増して、ダナエーには堪え難いものとなっていました。彼女はついに庇護者であるディクチェスと共に、ゼウスの祭壇に頼って救いを求めました。ギリシアの習いでは、神々の祭壇に馳け込んだ者は神聖とされ、神に属する者として、もし罪があってもみだりに手を加えることを許されませんでした。それでポリュデクテースも、ただ社を遠巻きに取り囲んで、彼女が折れて出るか、餓死するかを待っているところだったのです。
ぺルセウスの怒りはまさに爆発せんはかりで、王宮に進み入ると、その姿を見て狼狽した王が、家来や味方の者どもを呼び寄せて、打ち倒そうとしました。ペルセウスは、我に味方する者は目を閉じて決して開くなと大声で警告し、袋から出したメドゥーサの首をさし示しました。王と一味は、ペルセウスの元へ襲いかかろうとするその姿そのままに、みな石と化してしまったのです。
こうしてペルセウスは敵を平らげて、隠れ兜と飛行靴、キビシスはヘルメース神に返し、メドゥーサの首はアテーナ一女神に奉りました。以後アテーナー神は自分の楯のまん中に、紋章のようにゴルゴーンの首をはめ込んで着けることにしたそうです。
それからペルセウスは、恩人ディクテュスをセーリポス島の王としてから、妻のアンドロメダーを伴ってアルゴスに出かけました。
ダナエーの子が戻ってくる、という噂を聞き伝えたアクリシオス王は、いよいよ神託が実現するかと大恐慌を覚えました。ましてペルセウスの武勇を耳にし、また表から孫と敵対するのも好まなかったので、ひそかにアクリシオス王はアルゴスを抜けだし、遠い北のテッサリアの、ラーリッサ市にやって来ました。この地方での最も賑わっている町です。たまたまラーリッサの領主テウタミダースは、父王の葬儀に記念の運動競技会を催していました。これはホメロース以来の慣習であって、かのオリュンピアでの競技なども、こうした祭儀の恒例化であるといわれています。ペルセウスはアルゴスに居なかった祖父の行方を尋ね、テッサリアまでやって来ていて、この催しを聞くと元気のいい青年の常として、参加を申し入れました。ところが五種競技をやっているとき、彼の投げた円盤の手許が狂い、見物人の間に飛び込んでしまいました。円盤は一人の白髪の老人の頭に当り、深傷を負わせてしまったのです。この老人は間もなく息を引き取りましたが、これこそ正にかのアクリシオス王だったのです。
ペルセウスは深い悲しみのうちに祖父を葬り、南へ帰りましたが、自分の手にかかってしまった祖父の所領を継ぐことを憚り、従弟に当るプロイトスの子メガペンテースに領地の交換を申し入れて、ティーリュンスの王となることにしました。ギリシアでは血族間の流血は、もっとも重い罪とされていて償いと追放を求められることだったのです。
その後の彼の生活は至って平穏に過ぎ、アンドロメダーとの間に数人の子女を儲け、安らかに世を終ったといわれています。子供達はケーぺウス王の許に残して来たペルセースの他、アルカイオス、ステネロス、エーレクトリュオーン、それとあまり名の聞えぬヘレイオス、メーストールらの息子、およびアイオロスの子ペリエーレースに嫁いだゴルゴポネーがいます。
この人々の世系、およびペルセウスの曾孫とされているギリシア第一の豪傑へーラクレースについては、また他の話となります。
チェルリーニ1553年フィレンツェ ロッジア=ディ=ランツィ