アルゴー号遠征の物語

 アルゴナウタイとは巨船アルゴー号に乗り組んだ船人たちという意味で、アルゴー号に乗ってギリシアからへレースボントス(現在のダルダネル)、ポースポロスの両海峡を経て、黒海に入り、そのいちばんの奥の、カウカソスの麓に興ったコルキス国に赴いた、英雄たち五十余人の一行の航海の話です。トロイア戦役の一時代前、ほぼ紀元前13世紀の末近い頃を題材にしています。当時のギリシアでは、ようやく航海の経験を積みはじめ、好奇心と冒険への魅力に牽かれ、前人未到の遙かな海路を、見知らぬ敵意に満ちた種族の地を通って航海する旅に、どれだけの勇気と決断と行動力と自信に加え神の加護が必要だったことは間違いありません。
 一行の船長は、若年のイアーソーンです。しかし遠征にはへーラクレースを始め、全ギリシアに名を謳われる英雄豪傑が集まります。道中の危難は各人の機転と能力そして全員の協力によってのみ乗り越えることができるのです。彼らは東南テッサリアの港イオールコスを出発し、目的とする金羊毛を求めてコルキスに辿り着きます。
 金羊毛を得ることが遠征の目的ですから、達成できたところで冒険としては終わりです。しかしヒロインとなったメーデイアは故郷も家族も財産も、すべてをイアーソーンへの恋に賭けさせられてしまったことからギリシャ悲劇が始まります。


  アルゴー建造
 チッサリアではイオールコスの国主アイソーンが、父親達いの兄弟ペリアースに謀られて王位を追われてしまいました。ペリアースは、アイソーンが老齢のため、その子のイアーソーンが成人するまで、自分が代って後見をし政治をとると布令を出したのですが、イアーソーンの母は彼の言葉と真意を疑い、息子をケンタウロイの一族で神人といわれ、音楽や弓術、特に医術に秀でたケイローンに預けて養育を依頼しました。
 ケイローンは、イオールコスからほど遠からぬぺーリオンの山中に住み、彼の名声を慕って集まって来た諸国の若者に教育をほどこしていました。彼の教えを受けたイアーツーンは、まもなく何れの技においても師の手並みをしのぐほどに上達しました。やがて二十歳近くになると、整った姿態でも知恵においても、彼に敵う者がありませんでした。ケイローンも、この若者を頼もしく思っていましたが、ある日のこと彼にすすめて、神託を得て行く末を訊ねさせました。すると、イオールコスに帰って父のものである王位を、ペリアースからゆずり受けよ、との答えを得ました。
 そこで、イアーソーンはケイローンの洞窟を出発してイオールコスの宮廷に赴いた。手には槍をもち、肩には豹の毛皮をうちかけ、腰には一振りの剣を帯びてさえいました。その途中大雨が降って来て、とある川の渡しにさしかかると、川は水かさを増し、濁った流れが逆巻いていました。岸辺に近づくと、ひとりの老婆が渡るに渡れず困っている様子で、彼を見て助けを求めます。親切なイアーソーンはすぐ承知して、彼女を背負い渡りにかかりました。ところが、流れの中ほどまで来て驚いたことには、老いさらばえた老婆がおそろしい重さで彼にのしかかって来ます。歯を喰いしばって一歩一歩進む中に、片方のサンダルがぬげ、あっという間に流れにさらわれて、見えなくなってしまいました。ようやく向う岸について老婆を下ろすと、不思議や、その姿はかき消すように見えなくなったのです。実は、彼女は並みの人間ではなくゼウスの妃のへーラーだったのです。以前、ペリアースは継母を殺したおりにへ−ラー女神の神殿を汚したもので、女神は彼を快からず思っていたために、新しく来たイアーソーンをためして、もし気に入ったらべリアースの敵手として引き立ててやろうと考えたのです。こうしてイアーソーンはこの後、へーラー女神の援助を受けることになったのです。
 やがて、イオールコスの邑に近づくと、彼はへーラー女神の加護を祈り、ひたすら道を急いでペリアースの宮殿につきました。彼の美しい金髪や輝かしい顔だち、その秀でた姿態はたちまち人々の注目を集めました。ちょうどこの時、王はポセイドーンをはじめ多くの神々を祀って、饗宴を開いていました。イアーソーンが王の前にすすみ出ると、ペリアースもその凛然とした姿に目をとめましたが、片足にサンダルがないのを認めて顔色を変え、この若ものを傍らへ呼びます。それは神託によって、王位はいつか片足だけサンダルをはいた若者に奪われよう、と知らされていたからです。王は、イアーソーンに向ってその名を尋ね、イオールコスを訪れた用向きを問いました。すると青年は怖れ気もなく微笑しながら、名を名のり、かねて自分が成年に達したら返してもらうはずの王位を受けとりに来たのだ、と答えました。人々は彼の勇敢さに驚きましたが、そのいうところがもっともなことだと思いました。しかし王は、彼に難題を申しつけ、それを成し遂げなければ王位をゆずるわけには行かない、と答えたのです。ペリアースの従兄にあたるプリークソスの霊を弔うため、ポントスの海を乗り切ってコルキスの国に渡り、金羊毛をとり返して来い、というのが王の命令でした。イアーソーンはこれを聞いて、王が自分の死を望んでいることを知ります。しかし、彼は勇ましくも、この難題を引き受けました。
 この遠征をくわだてたイアーソーンは、まず同志を集めなけれはなりません。しかし、へーラー女神の導きによって、五十余人の勇士たちをたちまち集めることが出来ました。また、彼らを運ぶ大きな船の建造には、当時の名高い船大工アルゴスが当って、アテーナー女神の加護の下にこれを成し遂げました。船のへさきには、アテーナ一女神がドードーネーの森から切り出した人語を発する不思議な樫材がとりつけられました。出来上った船は、アルゴスの名にちなんでアルゴーと名づけられたので、この船に乗る勇士たちはアルゴナウタイ、すなわち「アルゴー乗組の一行」と呼ばれることになりました。
 アルゴー号は、アルゴナウタイのひとり楽人オルぺウスの竪琴のしらべにつれて進水しました。舵をとるのは、高名な船乗りのティービュスであり、見張りをするのは九里先の微かなものも見分けるという千里眼のリュンケウス、その他、ゼウスの子で豪傑の聞えも高いへーラクレース、医術にすぐれたアスクレーピオス、ポレアースの子で翼を持つ兄弟のカライスとゼーテース、カリュドーンの英雄メレアグロス、トロイア戦争の勇将アキレウスの父のべーレウス、以下五十余名の勇士がアルゴーに乗り組んでいます。
 イアーソーンは、武勇の誉れも高いへーラクレースを一行の隊長としよう、と人々に相談をしたのですが、へーラクレースはこれを受けず、イアーソーンこそ隊長となるべきだと勧めたので、そうと決まりました。彼らは航海の平穏を祈って神々に生贄を捧げ、酒宴を開きました。その翌日の早朝、港につながれていたアルゴーは、声を発して前夜の酒宴に酔い伏した人々の目をさまさせ、早く出帆しようとせがんだのです。そこで人々は船に乗り込み、チッサリアの港パガサイを船出してコルキスに向かいました。


  ヒュプシビュレーとアミュコス
 はじめの中、海はおだやかで、オルぺウスは竪琴を奏でて、すべての船と岩礁の司であるアルテミス女神を讃える歌をうたった。すると大小さまざまな海の魚たちは、舟の周りに群れてとび跳ねました。しかしその後、嵐がやって来て、一行は二日の間航海を休まねばなりませんでしたが、三日目に海が凪ぐのを待って船を進め、岩にかこまれたレームノスの島につきました。すると驚いたことに、この島には男というものはひとりもいなくて、トアースの娘ヒュプシビュレーが女王の、女だけの島だったのです。これより少し前、この島の女たちがアブロディーテ一女神に生賢を捧げなかったため、女神は怒って彼女らの夫の愛を、その妻からトラーキアの女奴隷たちに、移させてしまいました。すると女たちは大いに怒って、一夜の中に男という男をみな殺しにしてしまい、こうして島には男というものがいなくなったのでした。
 人々が島に上陸すると、女王のヒュプシビュレーは島中の女たちを集めて、アルゴーの勇士たちを大いに歓待しょうと語り、ひとりの女を使者に立てて彼女らの心持を伝えさせました。勇士たちは大喜びでこれに答え、まずイアーソーンが女王とねんごろになり、一同みなアプロディーテーに生蟄を供え音楽や舞踊を捧げて、よろこびの中に月日の経つのを忘れてしまいます。
 しかし、遂にヘラークレースが、ある日のこと女たちを遠ざけて仲間に問い、故郷の妻を忘れ、またわれわれの使命をなおざりにしてよいものか、と責めました。人々はこれに返す言葉もなく、直ぐに出発の用意をはじめた。女たちもこれを知って、岩かげに巣をかまえた蜂の蜜を集め、恋人たちに最後のもてなしをして、たがいに別れを惜しみあった。女王のヒュプシビュレーはイアーソーンの腕をとって、目に涙を浮べながら、「ではお発ちなさいませ。神々がおつかわしになった仲間の人々とともに、金羊毛をとりにいらっしゃい。けれども、私はいつまででもお待ち申し上げますから、どんなに遠い国にいらしても忘れないで下さいませ。そして御無事にお帰りでしたら、お便りを下さいませ」。すると、イアーソーンは彼女を慰め、無事に帰国したら必ずイオールコスに迎え、妃にしようと約束をしました。こうして、彼らは長い櫂をそろえ、レームノス島を船出しました。
 左手にはトラーキアの陸地を望み、右にインプロス島の岸辺を見ながら、コルキスさして航海は続きます。一行は、へレースポントスの海峡を越えて、キュージコスという王の治める国につきました。キュージコスの歓迎を受けてその国を船出したアルゴーの一行は、その後大あらしに遭い、十二日間は荒れ狂う波風にもまれましたが、十三日日の夜とある岸辺に船がかりして疲れを休めることができました。この夜イアーソーンは神のお告をうけ、それに従って翌朝ディンデュモンの岩山に登り、祈りを神に捧げてこのあらしを静めることができたのです。この山の頂から、彼ははるかにミューシアの緑の丘を見晴らし、左手にあたって遠く拡がるトラーキアの海岸線のはるか向うに、霧につつまれたポースポロスの海峡を望見しました。ふたたび舟を漕ぎ出した一行は、キオスに到着し、清水を求めて上陸しました。へーラクレースはヒュラースという少年を愛して、この遠征に参加するにあたっても彼をつれて来たほどでした。人々が上陸すると、この少年も青銅の水差しをたずさえ、清水を探しに森の中に入っていきました。とある泉を見つけて、水を汲もうと水面にうつむいた少年の手を、水の底からその愛らしい姿を見たニンフが、アブロディーテーの送った恋にとりつかれ、いきなり腕をのべで捉まえると、水中深くさらって行ってしまいました。少年の叫び声を聞きつけたひとりの仲間は、すぐに声のする方角に馳けつけたのですが、もうどこにもヒュラースの姿は見えませんでした。これを聞いたへーラクレースは大いに嘆き悲しみ、森や野原にヒュラースを探し求めて大声に呼ばわったが何の答えもありませんでした。けれども彼は少年をあきらめ切れず、いつまでも探し廻っていたので船の出帆がおくれてしまいます。
 イアーソーンは、仲間たちの不平を抑えて、辛抱づよく二人を待ったのですが、とうとう舵とりのティービュスやボレアースの子のゼーテースやカライスたちに説きつけられて、二人を残したまま出発することになりました。その夜は一晩中暴風が吹きまくったのですが、あかつきの光がさす頃にはすっかりやみました。彼らは櫂をそろえ、行く手に黒々と連なる沿岸の絶壁を見渡しながら、朝の光に輝く海上を漕いでいきました。
 こうして彼らはビテューニアのべプリューケス人の国につきます。この国の王は、ポセイドーンの子で力自慢のアミュコスでした。この国では、あらゆる旅人は彼と拳闘の試合をしなけれはならず、それに敗れたものは奴隷になるか、殺されるかという乱暴な掟がありました。そしてアミュコスは未だかつて勝負におくれをとったことがなかったのです。王からの挑戦を聞いて、一行のひとりポリュデウケースが立ち上がりました。
 「諸君、御安心なさい。アミュコスよ、お前の思い上がりを叩きのめしてくれよう。さあかかって来い。」と叫んで、レームノスの女に贈られた麗しいマントを脱きすてて、固いこぶしに荒くれた牛の生皮をしっかりと巻きつけました。人々は左右に並んで二人の勝負を見守ります。これがアミュコスの最後の試合となります。しばらく睨み合うはどに、アミュコスは相手の腕前を覚ったもので、勇気もくじけてしまいました。しかし、今さらどうすることも出来ません。ポリュデウケースは、アミュコスが息つく暇も与えず、たくみに相手のこぶしをかわしながら隙を狙ってしたたかに打ちのめしました。ちょうど、船大工がハンヤーをふるって鋲を打つように、つづけさまに相手の両頼へ固いこぶしを浴びせると、アミュコスはあごを砕かれ血と歯を吐き出します。最後にポリュデウケースの一撃がアミュコスの耳のあたりに命中すると、さしもの王もひざまずいて倒れました。これを見たべプリューケス人たちは、王の仇とばかり梶棒や槍をふりまわしてポリュデウケースに襲いかかります。それで味方の面々も剣を抜き斧を取ってこれに立ち向い、烈しい血闘を演じた後、皆殺しにしました。勇士たちの姿は、冬の日牧場に群れる羊たちを襲う狼のようであり、番人たちが逃げまどうさまは、蜜をとる人々の焚く煙に、群れをくずして散る蜜蜂のようでもありました。
 勇士たちは剣を納め、神々に生贄を供えて夕餉をしたためました。食後、彼らはオルぺウスの竪琴にあわせてゼウス大神を讃える歌を歌いました。そして神々に祈りを捧げ、別れたへーラクレースを偲びながらその海辺に一夜を送りました。やがて、朝日の光がさし初めると彼らは起き上って船に乗りこみ、そよ風に帆を上げて波の荒いポースポロス海峡さして船を進め、その日の夕刻、黒海に近いとある岸辺に船を止めました。


  ピーネウスの予言と打ち合い巌
 黒海の口に近いトラーキアは、サルミュデッソスの国王であるアグーノールの子ピーネウスは、レート一女神の御子アポローンから予言の力を与えられています。しかし彼はこの特権をむやみに使い、ゼウス大神のとりきめを人間に語ったため、とうとう神々の怒りを蒙り、両眼を潰され、あまつさえ王座を追われてビテューニアの岸に貧しく暮していました。その上、神のつかわす怪鳥により食事のたびに悩まされていましたが、ある夜のこと、ゼウス大神のお告げを聞き、アルゴーの一行が間もなくこの岸辺を訪れて、彼のくるしみを除き、彼を悩ます女面鳥の貪欲な怪物ハルピュイアイらを追いはらってくれることを知りました。明くる朝、目がさめると、彼は不自由なからだをおこしてギリシアの勇士たちを迎えに出ました。やがて彼らがやって来たとき、歓迎し助けを求めます。自分の今の境遇を述べ、神々の呪いによってハルピュイアイに苦しめられていること、また昨夜の夢見では、一行中のボレアースの息子らが、彼らを追い払ってくれようとあったが、その二人は実は以前の妻の兄弟だから、と訴えました。
 それを聞く勇士たちは皆心から彼に同情しましたが、とりわけゼーテースとカライスは、王をやさしく慰めました。すると、閉ざれた王の眼がばっと開き、夢ではないかと驚いたピーネウスは、口早にその喜びを述べて神々を讃えました。それから彼らは食卓につきました。人々が食卓にならんだ馳走に手を出しかけた時、荒々しい羽ばたきが聞えて、三羽の怪鳥が雲間から舞い降りて来ました。そして食卓の上を散々に喰い荒して飛び去り、後にはいいようのない悪臭がただよっていました。これを見ると、翼を持ったゼーテースとカライスはすぐさま剣を抜いて、彼らを追って旋風のように舞いあがりました。しかし虹の姉妹で、ゼウス大神の使わしめであるハルピュイアイは、ゼビュロスもおよばぬはどの速さで飛んでゆくので捕えるのは容易でなく、獲物を追う猟犬のように追いかけていった二人も、一度は捕えて斬りかけたのですが、また逃がしてしまいました。そしてなおも空を翔けて追ううち、とうとう一羽の怪鳥は力尽きてティグレースの川に落ちました。その時、虹の女神のイーリスがあらわれ、声高らかに語りかけます。「ボレアースの子たちよ、ゼウス神がお飼いなさるハルビュイアイを斬ってはならぬ。神々の誓いにかけて、彼らはもはやピーネウスを悩まさないであろうから」そこで、二人は追跡を止めた。
 この間に、ピーネウスの館では、もう怪鳥に荒される心配のない夕餉がはじまりました。ピーネウスは夢でも見ている心持です。そうして、アルゴーの勇士たちが葡萄酒を飲み肉を食べながら、二人の仲間が帰るのを待つ間に、ピーネウスはこれからの行程と難儀、どうしてこれを逃げ切るか、その方法を述べるのでした。
 この国を出帆してすぐ出逢う難所は、シュンプレーガデスと呼ばれる青黒い二つの向いあう大岩のあいだの瀬戸で、打ち合い巌というもの、今までに誰ひとりこの難所を通ることは出来なかったこと、この二つの大岩は、根もとが海底の岩に結びついていないので、絶え間なく揺れぶつかりあうので、これに挟まれたら船はひとたまりもない、さればそこを乗り越えるには、まず初めに白い鳩を放し、鳩が通り過ぎたところで力いっぱい船を漕ぎ、ふたたび岩が打ちあわぬ間に大急ぎで通り越すはかはないが、そうすれば、きっと渡れよう、しかしもし鳩が通れなかったら、引き返して来るよう、さもないと、うち壊されて船もろとも海に沈んでしまうであろう、アルゴー船とても鉄で出来てはいないのだから、と。
 けれども、この難所さえ渡ってしまえは、黒海は横断出来たも同様で、そこからビテューニアの陸地を右手に望んで航海をつづけ、やがてマリアンデューノイの国をはじめいくつかの国々を通ってパーシスの河口に着こう。その河を溯れはもうコルキスである。
 彼はこういって、なおもコルキスの国王アイエーテースや、樫の木にかかっている金羊の毛皮や、それを護る竜について話し、またアルゴーの一行に与えられるアブロディーテーの神助を予言しました。
 勇士たちは彼の言葉に耳を傾け、時にはおそれに身を震わせ、話が終っても誰ひとり一語も発しえなかった。やがてイアーソーンは口を開いて、彼の予言に礼を述べ、航海の困難につきなおもピーネウスに、いろいろと模様を問いただしました。この時、ハルビュイアイを追って飛んでいった北風の子の兄弟が息を切らして帰って来て、闘いの模様を語り、ピーネウスに向って、今後はもう二度と怪鳥に悩まされることはないから、と告げしらせました。こうしているうちに、夜は明けてゆき、小屋のあたりにはもやが立ちこめた。アルゴーの勇士たちは浜辺に下りて生贄を屠り、神々に前途の安らかな航海を祈りました。そして、ピーネウスからの贈物とともに一羽の白鳩をつみ込んで、この国を出発しました。
 彼らの生贄を喜んだアテーナー女神が、順風を送れは、帆いっぱいに風をはらんだアルゴーは矢のように進み、やがておそろしい絶壁を行く手に望むところへ来ました。近づくにつれ、岩に砕ける大波の音が轟々となりとどろき、人々の耳を打ちます。
 勇士のひとり、エウぺーモスはふるえる鳩をしっかりと抱いていましたが、頃合を見はからってそれを飛ばしました。鳩は一直線に打ち合い巌シュンプレーガデスに向って飛び、勇士たちはみな頭をあげてその行く方を見守ります。鳩が近づくと、二つの大岩は湧き上る黒雲のように互いに近まり、雷のような音響を発して撃ち合いました。大波が逆巻いてあたり一面の海面は白く泡立ちます。と、アルゴーの一行は歓声をあげました。見れは、波間に一枚の白い尾羽がただよい、鳩は通りぬけたのでした。それとばかり、人々は櫂を漕ぐ腕に力をこめ、舵とりティービュスの合図の下に船を進めました。すると、いったん引き退きかけた二つの岩はあわててふたたび閉じようとしましたが、それより早くアルゴーは岩の間を通り過ぎ船尾のしるしをわずかちぎられたきりで、ともかく一行は無事に難所を越えることが出来ました。ふり返って見ると今までに一度も船を通さなかったシュンプレーガデスは、あまりの烈しさで撃ち合ったため、今はもう動けなくなってしまっていた。この時以来、打ち合い巌は人々にわざわいをしなくなったのです。
 アルゴーの一行が無事にこの難所を通過したのをたしかめたアテーナー女神は、さらに一陣の風を送って船の速さを増すと、オリュンボス山さして帰りました。この日、船はレーバースの河口に達しました。夜になると勇士たちはとある森の中で、オルぺウスの竪琴に合わせてアポローンの頒歌を歌いました。やがて、夜明けのさわやかな風が吹き渡る頃、彼らはアルゴーのともづなをときました。
 こうして、その後。彼らはマリアンデューノイの国で歓迎を受け、アマゾーンの国を通り、風凪ぎのおりは戦の神アレースの島に船を留めましたが、間もなく出帆して、その途中でアイエーテースに忌まれて追い出されたプリークソスの息子のアルゴスやメラースたち四人に出逢い、彼らの案内でパーシスの河口を溯ってから、夕方目ざすコルキスに上陸しました。一行はとある入江に船をつなぎ、岸にねむって夜の明けるのを待ちました。

  アイエーテースの難題
 この時、オリエンボスでは神々の会議が開かれていました。イアーソーンがひいきの女神ヘーラーとアテーナーとは、どういう方法でイアーソーンを助け、金色の羊の皮ごろもを持ち帰らすか、その手段についていろいろと相談しました。そのあげく、これはどうしても美と愛との女神アプロディーテ一に頼んで、その息子エロース(恋愛の司神クピードー)の矢の力を借り、アイエーテースの娘で魔法に達したメーデイアにイアーソーンを恋いさせ、その魔術の力で無事に金羊毛を持ち帰らすほかはあるまい、との結論に到達しました。そこでさっそく二人の女神は、キュプロス島の神殿にいるアプロディーテーを訪ねに出掛けました。
 ちょうど女神は、乳のように白い肩さきに金髪をなびかせ、お化粧の最中でしたが、両神を出迎えその熱心な頼みを聞くと、一応は面倒なことと断わろうとしたものの、とうとうヘーラーの熱心さに負け、息子のエロースを呼び寄せると、アイエーテースの娘メーデイアに黄金の矢を射かけ、その力でイアーソーンへの烈しい恋心を胸中に揺りおこさすよう、命令しました。
 やがて夜も明け、パーシスの河岸に眠っていたアルゴーの勇士たちも起き上って、朝食の用意にかかったとき、イアーソーンは彼らに向って、今日の目論見につき一同の賛成をもとめました。それはまずおとなしくプリークソスの子息らをつれ、勇士のうちから二人を選び、ともどもにアイエーテースの屋敷を訪ね、用向きを述べ金羊毛をもとめることです。王はさきに救いを求めたプリークソスを殺害し金羊毛を奪い取ったのです、そして祈願者を護るゼウスの神意をないがしろにしました、その罪をいま悔い改めて毛皮を返すべきである、と理を尽くした提案をするのです。
 やがて談合のようにプリークソスの子息をつれたイアーソーンの一行はヘーラー女神の庇護のもとに、無事王宮につき大広間へと案内されました。そこにはアイエーテースと王妃のエイデュイア、独り息子のアブシュルトスが居ならぶ群臣を控え、座についていました。やがて王女のカルキオペーも妹メーデイアとつれ立って現われました、夫プリークソスと一緒に子供たちまでなくなした彼女は、いまその子たちに逢って、涙を流して喜ぶのでした。メーデイアはヘカテ一女神のお社の女祭司をつとめ、今しも社へ出かけるところを、ふと気が変って姉と同行して来たのです。それもへーラー女神の誘いであったのです、その胸へ向けエロースは姿を見せずに、イアーソーンの傍に立ち、矢を弓につがえると、メーデイアを狙います。そして当るのを見届けると、いたずら好きな子供の神は声高に笑いながら、キュプロス島の母神のところへ、羽をばたつかせて帰っていきました。
 エロースの矢に深く心臓を傷つけられたメーデイアは、ふと見初めたイアーソーンにこの世ともない恋ごころを覚えて、いく度となくその姿をぬすみ見しては、身じろぎもせず恍惚とした愛のよろこびに双頬を染めるのであった。
 さて、イアーソーンの一行を引見したアイエーテースは、声を荒らげて、まずプリークソスの子たちの帰国をなじり、イアーソーンの要求については、にべもなくはねつけました。そこでイアーソーンは、おだやかに神々の後裔である自分の素姓と、神々の加護によってこの国にやって来た次第を述べました。すると、王は怒りをおさえて、胸の中で彼らを斬り殺してやるがいいか、それとも難題を課してやろうかと、思案をかさねました。そして「客人たちよ、もし御身らが本当に神々の後裔であり、金羊の毛皮を是非にと所望するなら、まず私のいいつけを果さねばならぬ。私の厩には軍神アレースの持ちものだった、青銅の足をもち口から火を吐く牡牛がいる、これに軛をつけてアレースの聖地を耕してくれ。それからそこへ私の与える竜の歯を播くのだ。すると物の具をつけた武士が地から湧いて出ようが、これをみな討ち果すのだ。これだけのことが出来たら、金羊毛を渡してやってもよい」これを聞いたイアーソーンは、言葉もなく床を見つめたまま坐っていました。長い間考えたあげく、彼はやっと面をあげて、大変難かしい命令だが、ひとつやってみよう、と答え、途方に暮れたまま広間を退出しました。王の烈しい不興を蒙ったプリークソスの子たちも、イアーソーンらに従ったアルゴスのほか、母のカルキオペーとその居間に入りました。
 その後からメーデイアも居間にもどりましたが、彼女はいつまでもイアーソーンのことが思われてならなかったのです。彼の姿、その声から立居振舞のすべてを思い出すにつけて、これほどに頼もしい青年がこの世にまたといようと思えず、その声は快い音楽のように耳にたのしく、その言葉は蜜のように甘くひびきました。彼女は、彼に課された難題を思い、命の危ういことを考え苦しみつづけました。そしてへカテー女神に、その無事を祈るばかりでした。

  王女メーデイア
 アイエーテースの王宮を出たイアーソーンたちは、黙々と街中を通り川岸へ出ました。すると、彼らについて来たアルゴスはイアーソーンに向って、自分の叔母のメーデイアは女神へカテーの巫女で魔術に達しているから、彼女の助力を乞うたらどうであろう、もしよかったら母のカルキオペーから話してもらおう、と申し出ました。これを聞いたイアーソーンは、喜んで彼の申し出を受け、心をはずませ仲間たちが待っている入江にもどりました。
 イアーソーンが、王宮での出来ごとを語り、王との約束を話すと、これを聞いた一同は口々に彼の勇気をほめたたえて激励しました。そして一座が静まった時、アルゴスは立って、さきほどイアーソーンに告げた彼の計画を語り、もし皆の賛成を得たなら、すぐにもこの計画をすすめてみよう、といいました。一同の賛成を得たアルゴスは、母の許へと急ぎ、やがて王宮に辿りつくと、勇士らのため母のカルキオペーからメーデイアに執りなしをたのんでみましたが、彼女は父王のおそろしい怒りを思って容易に承知しませんでした。
 そして父に叛くことのおそろしさと、恋しさの心とから思いは千々に乱れて、ただ泣くばかりでした。この様子を侍女から聞いたカルキオペーは、妹の部屋にやって来て、泣いているわけを訊ねました。メーデイアはそれには答えず、ただ、アルゴスのたのみを聞き入れ、明日の朝ヘカテーの神殿に行って牡牛を静める薬をつくるが、このことは誰にもいわないでくれ、と語った。息子の願いが叶えられたのにカルキオペーは大いに喜び、アルゴスにことの次第を報せてやりました。
 間もなく夜の闇があたりをおおうと、空には船乗りたちの夜の目あてになる大熊座や、オーリーオーンの三つ星がきらめきはじめ、犬の遠吠えもやんで街はひっそりと静まりました。しかしメーデイアは寝付かれずに、牡牛に殺されるかも知れないイアーソーンのことばかりが胸に浮かびました。そして涙はとめどなく彼女の頬を伝い、エロースの神の矢の傷手に、彼女の心は片時も休まるひまがありませんでした。それで、薬草の手箱をとり出しましたが、中に収めた薬草の、あるものは人を生かし、あるものは人を殺す効目があります。不幸な娘はいっそ毒草を味わって苦痛を忘れようとさえしたのを、へーラー女神がメーデイアの心に死へのおそれを呼びおこさせました。それで彼女は二度と死ぬ考えを起さなくなり、ただイアーソーンに出逢うのをたのしみに、一睡もせず夜を明かしました。
 東の空が白み始めると、メーデイアは髪をととのえ、涙にぬれた頬を拭うと、香料をつけて化粧をこらしました。彼女は手箱の中から、プロメーテウスの草と呼ばれる植物をとり出した。この薬草を、深夜ヘカテ一女神に生贄を捧げてから身体にぬると、いかなる剣にも傷つかず、いかなる猛火にも焼けないという魔力を持っていました。それから彼女は侍女を呼び、騎馬をつけた車に乗って、朝もやの中をヘカテーの神殿に向かいました。一方、プリークソスの子のアルゴスは、これより早くアルゴーの勇士たちの許に馳けつけ、メーデイアが援助してくれることを伝えました。そこでイアーソーンは、鳥占いのたくみなモプソスと一緒に、彼の案内でヘカテーの神殿に赴きました。
 神殿の近くには一本のポプラの木があって、その梢には鳥が巣をかまえていました。三人が近づくと、鳥たちは枝から枝へと飛び交いながらさえずりたてました。すると鳥の言葉を聞きわけるモプソスは、これを聞いてほくそ笑みながらイアーソーンに、神殿の近くにひとりの乙女が彼を待っていること、その娘こそアブロディーテ一女神が彼のために助力するよう送ってくれた者である、と解き明かしました。やがて社殿のもとに待ちかまえたメーデイアは、イアーソーンの熱心な懇望と彼女への讃辞を聞くと、かすかな笑みを唇に浮べ、ひと言もいわずに用意した薬草を手渡した。それから、今は心もはれはれと愛しいイアーソーンに、薬草の使い方を教えた。それから彼女はイアーソーンの故郷の許やその名をたずね、一刻を過してから別れました。イアーソーンは船にもどって、出来ごとを仲間たちに報告し、もらった薬草を示しました。
 あくる朝、テラモーンとアイタリアースはアイエーテースを訪ねて、カドモスが殺した竜の歯を受けとって来ました。アイエーテースは、牡牛を御せるはずがないと思っていたので、快く彼らに竜の歯を与えました。

  金羊毛の奪取
 その夜、アルゴーの勇士たちが寝床につき、空に大熊座が輝きそめると、イアーソーンは昼間のうちにアルゴスが用意してくれた葡萄酒と牝羊をたずさえて、ひそかに荒野のただ中に流れる川のほとりへ行きました。そしてメーデイアに教えられた通り、まず川の水を浴びて身を清め、それからあのヒュプシビュレ一に贈られたマントをからだにまきつけて、さしわたし二尺はどの穴を掘りました。そして太い焚木を用意して生贄の喉をかき切り、屍を焚木の上に横たえて火をかけました。頃合を見て、彼は火に葡萄酒を注ぎ、声を低めてヘカテーの女神を呼んだ。すると怖ろしい女神が闇の中から立ちあらわれ、その生贄に近づいた。周囲には冥府の国の犬どもが群れをなし、もの凄い声で吠えまわっていました。イアーソーンは、このおそろしさに魂消る思いであったが、やっと夜が明けるまで辛抱した。そして、夜明けとともにかの薬草を川に浸しそこに潰かると、彼のからだは魔力によって、この日一日だけは、剣にも火にもそこなわれぬものとなりました。
 アイエーテースは、アレース神から与えられた鎧を着こみ、槍を持ち楯をたずさえ黄金の兜をいただいてアレースの聖地に臨みましだ。アルゴーの勇士たちもそれぞれ思い思いの武具をとって、イアーソーンに従いました。彼は腰に剣をつるし、手には鋭い槍を携え、威風堂々たる落ちつきを示しました。竜の歯は輝かしい兜に満ち、それを片手に、青銅の鋤をかたわらにして立った彼の姿は軍神アレースのように勇ましく、光明神アポローンのように楓爽としていました。そこへ厩から放たれた火牛が、荒々しい足音をたて、息も凄まじく飛びこんで来たその時には並み居るアルゴーの勇士たちもおそれをなしましたが、イアーソーンは嵐の中で大波を迎える海の巌のように、どっしりと大地を踏みしめ、飛びかかってくる牛をがっきと受けとめました。火牛の吐く炎の息は、鉄を熔かすはどでしたが、魔力を受けたイアーソーンはものともせずに、右手に牛の角をおさえ、左手に重たい鋤をとりあげ、渾身の力をふるって牛のからだにとりつけてしまいました。そして、王を始め居並ぶ人らの驚きを尻目に、縦横に土地を耕しました。それが終わると、イアーソーンは猛牛に軛をかけて青銅の柱につなぎ、なお暴れるのを力まかせに投げ飛ばてし、横腹を蹴りつけたのでさすがの牛もようやくにおとなしくなりました。そこで、彼は兜の中から竜の歯をとり出し、もう太陽が中天を過ぎ、西に傾いてきたにもかまわず、耕した畝のあいだに竜の歯を播いていきました。
 すると、楯をもち二叉の槍をひっさげた立派な武士たちが、ぞくぞくと生え出してきました。ここで、イアーソーンはメーデイアの教えを思い出し、大石をとって彼らの真中に投げ、自分は大きな楯のかげにかくれた。するとたちまち、武士たちは互いに罵りあい、剣を斬り結んで烈しい死闘を始めました。そして、一人一人次々と嵐に倒れる大木のように、倒れていきました。隙をうかがいイアーソーンも剣を抜いてとび出し、ここかしこに彼らを斬り伏せて、手傷を負っている武士たちを、農夫が麦を刈るようにやすやすと片づけてしまいました。こうして土から生れた彼らは、ふたたび母なる大地のもとに帰ったのでした。
 アイエーテースはすっかり機嫌を悪くして王宮にもどりました。こうして、この一日はおわり、イアーソーンはみごとに大仕事を果したのですが、王はこれが彼ひとりの力ではなく、娘たちが助けてやったに相違ないと、火のように怒ってその夜は寝もねず、アルゴーの勇士たちへの邪な企てを思いめぐらしたのです。
 この時、へーラー女神は、ねむっていたメーデイアの眼を覚まさせました。すると彼女はまたしても無残な苦悩にさいなまれて、猟犬に追われる子鹿のようにぶるぶると震え、イアーソーンへの気づかいに、心の底からおそれおののきました。そしてふたたび死を思いましたが、へーラー女神はそれを許さず、プリークソスの子らと一緒に父母の家を捨てて逃げようと決心させました。すると彼女は心が休まり、すぐさま薬草の手箱から魔薬と毒草をとり出し、ひとつかみの髪を切り形見として寝床におくと、宮殿をぬけ出ました。
 恋に狂った乙女の足は、とまることなく、やがてパーシスの川岸に近づき、勇士の船の篝火を見ると、声をあげて彼らを呼んだ。イアーソーンは声を聞きわけ、それと知った勇士らは心を躍らせ、たがいに三度呼びかわしながら、彼女が待つ岸辺へと船をよせました。
 メーデイアはさっそく一同を促し、王の出て来ないうちに、森へ出かけ、金羊毛を手に入れるよう、竜は私が眠らせるから、ただ一同に力をあわせる代り、国を父母を捨てるほかない私の身を、この上とも決して見捨てはしないと誓ってもらいたい、とイアーソーンに願うのでした。それに答えて彼もまた故国に帰り王位を取り戻した上は、かならず妃の位につけると固く誓いをとり交わしました。
 それから、彼らは川を溯り、追手が油断する隙に、プリークソスの子アルゴスの案内で、聖なる森に入り、かの大樫に近づいて、見れは枝には燦然たる金羊毛がかかっていて、その根元には巨きな竜が寝もやらぬ眼を光らせて二人をにらみ、おそろしいうなり声を発しました。その声はあたりにこだまし、深い森の奥まで響き、さらに遠くコルキス国のすみずみまでもとどろき渡りました。メーデイアは呪文を唱えながら竜に近づき、香りの高い魔薬をふりかけ、さらに呪文を唱えつづけて竜の頭に薬をぬると、とうとう竜もねこんでしまいました。恐れをなして尻込みしていたイアーソーンはこれを見て大いに喜び、光り輝く金羊毛を手にとれば、長い旅に陽焼けした彼の顔は、金色の光をうけてきらきらと光かりました。

  アブシュルトスの殺害
 やがて薔薇色の光が天をおおう頃、イアーソーンは金羊毛を肩にかけ、メーデイアとともに船へもどりました。朝日の光を受けて燃えるような輝きを発する金羊毛に、勇士たちは目を見張り、われ勝ちに手を触れ引っばりあいました。イアーソーンは彼らを制して、毛を真新しいマントにくるみ、メーデイアをつれアルゴーの艦に座を占めました。今はおそろしい苦難に満ちた航海もおわり、帰国するはかりとなったのです。これもすべてこの乙女のおかげである、その時彼の胸中には感謝と愛があるだけだった。やがてイアーソーンが剣を抜き放ってともづなを断ち切れは、疾風のような速さで船は流れを下りました。
 メーデイアの所業は、たちまちにアイエーテースをはじめ、コルキスの国中に知れ渡りました。国王は軍勢をやって、彼らを河口に迎え撃とうとしましたが、急流に乗ったアルゴーは矢よりも早く逃れ去ってしまいました。アイエーテースは怒りに狂気して、両手を天に挙げ、父なる太陽神を喚びゼウス大神を呼んで、一行の行方を突き止め、捕えるか、撃ち沈めるか、して来いと臣下らに号令しました。すぐさま、アルゴー追跡の船隊が用意され、即日出帆して勇士たちの後を追いました。しかしアルゴーはへーラー女神の順風にのり、すみやかな航海をつづけました。ニ日目には早くもハリエスの河口に着き、それからはピーネウスに再会して帰航の途次の予言を聞き、シュンプレーガデスも通り越しました。
 アイエーテースの派遣した船隊はとうとうアルゴーを見失いましたが、メーデイアの弟アブシェルトスが率いる大軍は、先の海岸に待ちかまえていました。くまなく逃げ道を塞がれたのを見たアルゴーの勇士たちは、戦って勝ち目はないと悟りました。逃れる術もないまま、勇士たちはメーデイアを引き渡してこの場を逃れようかと相談しだしました。これを耳にしたメーデイアは顔色を変えてイアーソーンを呼び、劇しい言葉でその心変りと無情さを責め、船を焼いて自分も焚死するとまで脅かすのに、イアーソーンも彼女を恐れて、やさしい声で憤りをなだめてから、彼女を引き渡そうとしたのは、もしそうしないと激戦になり、彼女の実弟アブシュルトスを殺すはめになるかも知れないからだ、と答えました。すると、魔女メーデイアはおそろしい計略を彼に授けました。すなわち彼女は偽の使者を弟にさし向け、金羊毛とプリークソスの子供も一緒に奪い返して父王のもとに帰ろうといい送って、自分はアルテミス女神の聖なる小島で弟を待ちました。そして夜の闇があたりにこめると、空中に薬草をまいて魔力を働かせるのでした。一方イアーソーンはとある岸辺に上陸し、アブシュルトスに使者を遣って、メーデイアを引渡すといい送りました。そして暗に乗じて船を進め、月の女神の島に渡り、約束に寄ってやって来たアブシュルトスが姉に言葉をかけようとした時、待ち伏せた勇士たちは彼を捕え、その場で斬ってしまいました。それからコルキス勢の動揺に乗じ、囲みを破って逃れ出ました。アルゴーがエーリダノスの河口に達した時、なおも追って来たコルキス人の船は、へーラー女神の雷にうたれてついに追跡を断念しました。
 アルゴーの一行は、その後クロニア海を渡ってケルト人の国を訪れ、冬の荒海を越えてテュレニア海に達し、この間に多くの艱難を堪えしのきせました。そしてアイアイエーの島にキルケーを訪ね、アブシェルトス殺害の罪を浄めてもらいます。キルケーのもてなしを受けた一行はアイアイエーを船出してから、その送るさわやかな微風に乗って航海するほどに、セイレーネスの棲む島に近づきました。楽神の子ともいわれるセイレーネスは美しい声で船乗りを惑わし難破させる怪物でしたが、アルゴーが近づくのを見ると、唇をそらし美しい歌をうたいはじめた。すると人々はこの声に聞き惚れて、ともづなを投げ船を寄せようとするのに、楽人オルぺウスは竪琴を引きよせ、彼らに向って音楽の競技を挑んだ。そして遂に仲間たちの危難を救ったところが、競技に敗けたセイレーネスは、アルゴーを見送ってから海に身を投げて死んだといいます。
 その後、アルゴーはスキュレー、カリュプデイス、揺るぎ岩などの難所に行きあたのましたが、いずれもへーラー女神の加護によって無事に渡り、パイエーケスらの国に着きました。
 アイエーテースは、なおも執念深くパイエーケスの国へ使いをやって一行の引渡しを迫ったのですが、王妃アーレーテーの計らいで正式に二人に結婚の式を挙げさせ、神に許されたものとしてその要求を拒絶しました。その後、アルゴーはクレーテー島に立ち寄り、アイギーナで水を補給し、無事にやっとパガサイの港に帰り着くことができました。

  メーデイアのその後
 イアーソーンがコルキス国へ向け出発したのち、ペリアース王はまず厄介仏いをしたと安堵の胸を撫でおろし、邪悪な心でついでに義兄のアイソーンも片付けようと虐待したので、とうとう彼は牡牛の血を飲んで死を遂げ、妻のアルキメーデーもペリアースを呪いながら縊れて死んでしまいました。別伝では、アイソーンは老いの身をかこちながら、片田舎に侘しい日を送ったともいいます。
 やがてイアーソーンがメーデイアを伴って賑やかに帰国したとき、剛腹なべリアースは昔の約束は忘れたふりをし、一向王位を譲ろうとしませんでした。そこで腹に据えかねた二人は、何とかして両親の復讐をと計略をめぐらし、まずコリントスの町へ赴いてペリアースの監視を逃れて、それから夫と喧嘩別れをした態にして、メーデイア一人がイオールコスに帰って来ました。
 それからベリアースの三人の娘を呼び寄せ、その眼の前でよぼよぼの牡羊を、薬を入れた釜の湯に投じて煮ました。それには、まず咽喉を切り開いて血を絞り出し、新しい若さをもたらす筈の霊液を、血管に充たす、というのです。それで、ややあって蓋を取ると、驚いたことには、可愛い真白な仔羊が、鳴きながら釜から出て来ました。この魔法を見たべリアースの娘たちはすっかり感心して喜び、早速にもこの若返り法を、近頃めっきり老い込んで気難かしくなった父親に試みてくれ、としきりにせがみました。メーデイアは内心はくそ笑みながら勿体をつけて、ようやく願いを容れると用意を調え、ただ薬草中から一番大切な一種を除いておいて、ペリアースの娘たちに、危ながる父親を捉えて咽喉を切らせ、苦しむのをそのまま釜の中へ押し込ませました。無論ベリアースは、すっかり煮えて死んでしまいました。しかしこんなに酷い復讐をしたので、二人ともイオールコスに居られなくなり、その後はコリントスにいって暮しました。
 もとより家柄もよく、人物も第一には男前もよのつねに優るイアーソンは、その地の王クレオーンや、殊にその娘のグラウケーの注意を引き、メーデイアさえ居なければ婿に、というまでとなりました。それで王がイアーソーンを説き付け、まずメーデイアと別れさせようとすれは、彼もまた追々それが行末ともに良策と思いだしました。ともかく一時の訣れということで利害を説き、まず国外へ退去を勧めましたが、メーデイアの心は暗くなるはかりでした。故郷も父も兄弟も、すべてを犠牲にしてつくした夫が、今は他の女に自分を見返すとは。間に設けた二人の児さえ末はどうなることか。一途にこう思いつめた彼女は、やがて意を決すると、持っている衣裳中で一番立派な、太陽の輝きをもつ衣を二人の子供に持たせ、王女のもとへ届けさせました。せめては子供だけでも、この国に居させてくれと頼みにです。しかし、その生地には恐ろしい猛毒が漆み込ませてあったのです。贈物の美々しさに惹かれて、身に着けた王女の、肌にその毒が触れるなり、炎となって身を焦がし、悲鳴に馳けつけた国王まで衣に手を触れるなり毒に犯され、たちまち生命を焼き尽されてしまいました。
 この様子を聞いたメーデイアは、もうこれまでと崩おれる心に鞭うって刀を執り、二人の子供を刺し殺すと、呆然として言葉も出ないイアーソーンを尻目に、竜の曳く車を呼んで虚空をいずこともなく逃れ去りました。竜単に乗ったメーデイアは前に恩を着せてあったアテーナイの王アイゲウスの許に赴き、やがて王を惑わして妃に納まりました。その後テーセウスが初めて父王を訪ねて帰国した際、メーデイアはこれを妨げようとして毒杯を与えましたが、露見してから後の行方は判らなくなりました。一説ではアイゲウスとの間に生れた子メードスを連れぺルシアに逃れ、メーデイア王家の祖になったともいいます。