徳川 家康 (20070110)

徳川 家康


  狸爺
 天文11年12月26日の寅の刻に岡崎城で出生しました。グレゴリオ暦で1543年2月10日です。この日の日の出は午前6時50分頃ですので、不定時制ですと寅の刻限は午前3時半頃から5時40分頃になります。記録によれば5歳から人質として出され(1547)から桶狭間(1560)で今川が負けるまでの14年間にわたる人質生活です。戦国時代の人質はそれ程悪い生活ではないのですが、竹千代は今川に人質として連れて行かれる途中で拉致され織田信秀に売り飛ばされて人質となりました。この時期に信長と顔を合わせているようです。2年ほどで父親が臣下に殺されますが、今川方の人質奪回作戦により今川義元の元に辿り着きます。その間に岡崎城の城代が変わり竹千代への物資が滞り、食べるものにも困ったそうです。しかし、当時の駿府は文化都市として栄え、いろいろな勉強をする環境が整っていました。体を鍛え頭を鍛え、堪え忍ぶことを学んだのでしょう。
 さて、ASCに月があると幼少期の不安定を示すとされています。ワイドで星座宮をまたいでしまいますが火星とのスクエアもあります。しかし木星の応援もある幼少時代といえば、なかなか納得できる配置です。火星のアフリクトはこの時代に必要な才能です。激高することが出来なければ生き残れない場合もあるでしょう。但しそれはコントロールされる必要があり、それが課題ということになります。次に太陽と土星のスクエアは実にタイトなものです。わがままとか不活発という意味がありますが、太陽を押さえるのが土星の役目です。この土星を使うことが家康が生きながらえる方法であり、解決すべき課題ということになります。これらの課題をどのように解決したのであろうかを考えながら、家康の一生をざっと見てみましょう。



 桶狭間で今川義元が死に、人質としての生活が終わります。進行火星と経過木星のICでの効果でしょうか。



 家康は、上洛を狙うかに見える信玄軍に対して、籠城を唱える臣下達と信長の応援軍を率いて出撃しました。その結果、兵1万1千の内一千人以上の死者を出して、軍隊としては壊滅、消滅状態、逃げ帰る馬の上で脱糞したということです。これだけの事態があまり3重円からは見られません。せいぜい進行太陽が出生土星とイージィである位でしょうか。また、出生時刻を動かして3時51分にすると進行Mcが出生土星に乗るようになります。何れにしても出生火星と出生月のスクエアで仕事をすると痛い目を見るという幸運な学習が行われたのでしょう。



 この事件は内通した正妻とその息子を信長に命じられて殺したと言うことになっていますが、真相は闇の中です。1室を通過中の土星が痛いのですが、月に関わりがありません。ここで、出生時刻を3時半頃とすると、進行の土星がASCにかかってきます。出生時刻によっては出生月の位置と進行土星が強く関係することも考えられます。しかし人殺しは戦国武将にとって日常の出来事なのです。たとえ血族でも敵となれば切り捨てるのです。



 天下を統一する勢いであった信長が殺されると、跡目争いとなります。殺した(勝った)方が簒奪するのが、今までの勝負ですが、光秀は信長臣下団に対抗する術が無く、跡目相続は光秀を討った者という流れです。その中で、家康は配下も少なく京から脱出、伊賀越えをして国元に戻り、その後に軍勢を率いて跡目を狙おうという作戦です。京脱出も一刻を争う状態で、脱出直後に一揆の波が押し寄せていますから、危機一髪で生き残っていると言って良いでしょう。事態は出生月の上に進行土星が来ている中で、出生太陽の上を経過木星が通る幸運で切り抜けたのです。



 織田軍と家康軍が連合して秀吉と相対することになりますが、圧倒的に秀吉軍が多いにも関わらず秀吉は家康が怖くて正攻法で攻めることが出来ません。双方とも別働隊を出して戦いますが長久手の戦いで家康側の勝利に終わり、秀吉は講和の策を取ります。家康にとってはここで道を間違えると秀吉に潰されてしまう瀬戸際です。三方が原のような真似をしていたら命運が尽きることは必定。双方のつばぜり合いが続きます。ただ、秀吉は家康を買っているところがあり、部下にしたくて仕方ないと見ても良いでしょう。



 1590年、駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の5カ国から、北条氏の旧領である武蔵伊豆・相模・上野・下野・上総・下総の7ヵ国に移封されます。これを進行木星の出生ASCと合わせるのも修正の1つになるかも知れません。そして秀吉の死後、跡目争いの頂点になるのが関ヶ原になります。家康の木星に乗る土星が頂点に立つ家康の状況を示しています。土星は単なる凶運の星ではありません。地道な努力と忍耐の末に結果を出してくる星です。出生水星に進行火星のトラインも調略には有利でしょう。戦いは戦闘そのものと共に誰がどちらに付くという点も重要であり、根回しの肝心な世界です。進行木星の出生月コンジャンクションは強運です。人間関係の構築には最も良い配置です。それを最大限に使ったのが狸なのです。



 関ヶ原の戦いで勝利を得ましたが、それは一番を取っただけのことで、徳川が政権を取った後でも不安定要因として残された豊臣家が大きな勢力を持っています。面と向かって戦えば、勝敗は判りません。天下統一を成し遂げるには豊臣を滅ぼさなければならないのです。冬の陣で大阪城の堀を埋め、準備を尽くして迎えたのが夏の陣です。それでありながら真田信繁(幸村)らに家康本陣まで攻め入れられ苦戦し、三方が原の時と同じように馬印を倒されて切腹を覚悟するような事態までやってきます。何とかそれを退け、主筋であった豊臣家を滅ぼす事に成功しました。家康最後の乾坤一擲の戦いです。



 鯛のテンプラ死亡説が一番有名ですが、調べると天ぷらを食べたのは元和2年1月21日の夕食であり、死んだのは同年4月17日で、3ヶ月もかかっての食あたりや中毒とは考えられません。胃痛や食が細くなっているということから順当に胃ガンであったと推定しても良いのではないかと思います。また、太陽にハードなアスペクトがあることから心臓関係の疾患でも不思議はありません。