mS's Ast. 啄木解読

 FPOEM協賛企画への協力を念頭に石川啄木をやってみようと思います。取りあえずの基礎データです。

  年月日 時分秒(JST)
石川啄木 盛岡 18851028
   戸籍への記載 19860220
啄木逝去 東京 19120413 93000
石川節子 盛岡 18861014 妻
石川節子逝去 東京 19130505
石川京子 盛岡 19061229 娘
石川京子逝去 東京 19301206
石川光子 盛岡 18881220 妹

 出生日について2つあるという楽しい形です。その上に10/28というのも10/27という表記があるものもあり、またまた面白くなっています。また、場所もそのものもズバリではないのですが、充分な位置です。

 知らない人はいない人ですが、詳しく知っているという人も、あまりいないようですので、概略を。
 いしかわたくぼく 石川啄木歌人。岩手県玉山村の生。本名は一(はじめ)。父は禅僧で彼の2才の時渋民村宝徳寺に移りそこで成長した。13才で盛岡中学に入り、海軍に志したが、婦友の感化で文学を志した。17才の時中学を退学して上京。病気のため帰郷したが、これを機として詩情湧き、与謝野鉄幹主宰の「新詩社」に入り「明星」に長詩を発表。1905年処女詩集「あこがれ」を出版。同年渋民村小学校代用教員となる。その頃深く小学教員の使命を痛感「詩人のみ真の教育者なるべし」と論破した。その年上京、創作欲を刺戟され、帰村して同年「雲は天才である」、「面影」、「葬列」、(「葬列}のみ「明星」に発表)をかく。1907年校長排斥Kストライキ事件で教職を去り、北海道にわたり、各所の新聞社を転々とし、遂に1908年上京。小説をもってたたんとしたが志を得ず、遂に短歌に自己の文学的表現の形式を見出した。1910年3行書きの新形式をとった「一握の砂」(1910)を発表した。これには未だ一家のスタイルはなさなかったが、一面形式上の変化に留らず、「明星」調の浪漫的な感傷性から脱して自然主義の楊棄を目ざしている彼自身の変化が行われている点でも重要。即ち彼はこのころから、評論「食ふべき詩」(1909)に理論化したように、短歌を「実人生と何ら間隔なき心持をもって歌わねばならぬ」ものとして生活体験即歌といった直接的な歌を詠じた。この点で彼の短歌は、後のプロレタリア短歌および口語歌に大きな影響をあたえている。1910年朝日に入社、この頃から社会主義思想に接近、特に、1910年の幸徳事件が大きな影響を与えた。最後の歌集「悲しき玩具」は彼の没後、(同年6月)に出版された。「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」

 先ずはこのようなところでしょうか

 出生時間の推測のためには、前回のデータだけでは足りないようですのでもう少し入れましょう。
1902年10月27日 中学を退学後上京
1907年05月04日 一家離散(石をもて・・)
1910年10月04日 長男誕生(10/27死亡)
1911年02月04日 慢性腹膜炎で入院 肺結核へ移行死病となる。
1912年03月07日 母死去

 推定方法ですが、これだけの人ですから、色々とハッキリと出ることが期待できますので身内の生死について見ていくことにします。

 出生時間が分からない段階ですから、ハウスは信用なりませんし、月の位置も考えなければいけません。月は、0時では双子の22.99、約23度、24時では蟹の7.28度です。10/28とすれば、この範囲に月があるわけです。

 1885年10月28日、取りあえずの12時では、海王星と冥王星が近く、これに対して近くにある木星と天王星がトラインになっています。また海王星と火星がスクエアという状況です。

 これに対して戸籍記載の1886年2月20日の方は乙女から天秤にかけて月火星木星天王星が集まり、水瓶と魚の境に太陽水星金星が集まります。これらに対して土星海王星冥王星がアスペクトを取る形になっています。

 強烈さは戸籍の方ですが、だからといって出生図だけで、それも時間も分からないモノでは判断するのはさけたいことです。

 次は、事件を組み合わせてみましょう。

 出生と事件を組み合わせる作業ですが、事件としては色々と選べますが、本人の死亡時期が一番のエポックとなります。またその他に、親族の誕生や死がハッキリとしたデータとして出ますから使いやすいです。これに対して、初恋や結婚等は事実として時期の特定が難しい事が普通です。啄木の場合も結婚したとされる年月日は婚姻届を父親が提出した日付で、この時代の戸籍の誕生日のようなものです。

 更に、性格や行動の特徴となるような出来事についても、文献によりその評価が色々で、結構いい加減なことが書いてあります。評価や批評の部分を無視して事実だけから現象を拾うようにしないと、このように人気のある人の場合は間違えることがあるでしょう。なにしろ図書館で啄木についての本を探したときに百数十冊あって、呆然としたことがあります。

 ところで、啄木の死因は、この時代ではかなりの割合を占める肺結核です。肺は星座宮では双子座宮に対応しています。何れの誕生日でも双子座宮には冥王星が入座していますが、冥王星の発見は1930年のことですから参考にはなっても決定打として判断材料にするには異論があります。

 双子座宮に注目するならば、出生図で入る可能性のあるのは動きの早い感受点です。例えば可能性として1885年の10月27日に月が双子座宮です。但しこれを中心に考える必要はありません。なぜなら、もっと動きが早く重要な点があるからです。それがASCやMCです。特にASCは性格や容貌、体格についてよく示すと考えられています。

 そこで、各出生日で双子上昇になるように調整してみましょう。すると何れも土星が蟹座宮の初めにありますから、当然1室か2室に入ってきます。火星、木星、天王星は3〜5室くらい。海王星冥王星は12室ですね。

 双子上昇の特徴は、やせ形で落ち着かないことが上げられます。筋肉もりもりというわけにはいきません。主星の水星は蠍座宮または水瓶座宮で、火星と吉角を持つわけでもなく、弱そうな感じがあります。21才で徴兵検査、丙種で徴集免除となったのは筋骨薄弱のためですが、この点と相通じるところがあります。

 この双子座宮にASCがあるというのは、あくまでも仮定のことで、病気という関連で6室に配当されても良いでしょうし、死病と言うことで8室に配当されても良いでしょう。取りあえず、進行のASCの位置が土星と絡むように出生時間を調整すると
  A 1886/02/20 11h(JST)
  B 1885/10/28 18h30m(JST)
 と言うようになります。


 ところで、伝記には、文学、詩歌への才能を褒め称えても、社会的に無能あるいは奔放にして非難の対象であったことは、事実として書かれていれば良い方で、無視しているものが多いようです。しかし、このチャートからすると、社会的に能なしである点と文才は表裏一体であり、片方だけでは成立しないものです。

 鍵はやはり海王星ですので、良くも悪くも啄木は海王星を生きた人です。この海王星は火星とのスクエアで、困難な葛藤を示しています。12室からは隠れたものという意味から潜在意識からの葛藤であり、4室からは家庭の葛藤です。自分の両親と妻を同居させていたのですから、嫁姑はぱっちり犬猿でしょう。それだけでなく、父親と自分の関係もいさかいが多かったと思われます。

 それはともかく、海王星と木星のトラインで示されたその感性、才能を開花させたのは、月と天王星の凶角によるものです。天体配列は、月と土星のグループとそれ以外のグループの2つに分かれます。人生の出来事が2つのグループを持っていることになります。そして2つのグループをつなぐアスペクトは格別の意味が生じます。そしてその中で最も強力なのが月と天王星の凶角です。一般的には非妥協的で共同作業に向かず独立独歩の傾向ですね。蟹座宮ですから、月本来の感受性が豊かで敏感な反応が出来ます。家庭的でもあります。また頼ろうとする傾向も強く、大人物の知遇を得ようとするはずです。

 この月は第2室ですから、財政状況は不安定になります。土星も同室しますから、苦しいことは間違いありません。天王星の凶座相は不意の出費ですが、太陽の吉角がありますから親や目上の助けが期待できます。

 話を戻しますが、つまりは金が足りない等の状況は、好きな物書きがしづらい状況を作り、更に意地でも書くことに燃えますから、座布団を引いて、さあお書きなさいと言われたら満足なものがかけないのでしょう。とは言っても、完璧に困り切っていたら駄目ですから、やはり吉星の援助が欲しいところです。『一握の砂』の詩歌の8割方が明治43年(1910)の制作とされているようですので、それを経過に入れてみましょう。すると、吉星の中の吉星、木星が5室で出生の木星や天王星の上にのっています。つまり木星リターンに近く、幸運期サイクルの切り替え時期に当たっています。この波に乗った啄木は、代表作と呼ばれる詩集を取りまとめています。

 『一握の砂』が幸運期の象徴のようにあるとすれば、占星術上で言う一般的な幸運期と呼ばれる時期はどうだったのでしょうか。一般的にはASCを木星が通過するときはチャンス到来の時です。ASCの位置は推定ですから、概略で考えないといけません。

 18時30分の出生とするとASCを木星が通過するのは1906年5月10日あたりとなります。この時、啄木は渋民村の尋常小学校代用教員として比較的安定した生活をしていたはずです。4月12日に採用、14日から勤務していることがわかっています。この後上京し、小説に手を染めて、活動を多角化させようとしています。

 木星は幸運をもたらしますから、出生図の中の星に対してアスペクトを取ることでその時期が分かるというように考えられます。

 しかし、次年の3月に父本人の家出によって、父の再就職活動がとん挫し、4月には学校で問題を起こして免職、5月4日に北海道へと渡ります。木星は出生の月や土星の上にのった時期です。

 6月に入り出生の水星(6室、業務の部屋)と木星はトラインとなります。6月11日、函館の弥生小学校の代用教員となり函館大火までの半年間、教鞭を執ります。

 札幌小樽釧路と流れ東京に来ますが、小説や詩歌の売り込みに失敗、困窮する状態になります。この時木星は、IC近くで、出生の水星に対してスクエアとなっています。この後、1日に140首を作詩する時があったようです。逆境で良い作品を作るというパターンがまたここにあります。

 その逆境も、出生の火星の上に木星が来るあたりから助けが入るようになり、転居します。そして、『一握の砂』とつながっていきます。

経過の木星の動きと啄木の活動の間に明らかな相関関係があるというのが、前回の趣旨でした。とすると啄木の不運な天才という評価を多少なりとも変えるべきだという考えが出てくるのではないでしょうか。つまり、事件はいろいろあったけれど、いわゆる星の示すチャンスは使っているわけです。

 このチャンスを使っていると言うことについては、2通りの考え方があります。星の示すところのチャンスだけを使って行動すればいいじゃないかというのと、常に奮闘努力しているから、チャンスが出てきたときに花が開くんだというものです。どちらも両極端な考えではないかと思いますが、啄木の場合は、どちらかというと後者の方ではないでしょうか。結果的に失敗や挫折が多く伝えられているようですが、それを糧にしているというところがありますから、役に立っているわけです。また、1902年10月30日から1912年2月20日までつづられた日記の存在も、不断の精進の結果でしょう。文士として生活したいというところに集中しているために、他のことまで手が回らないし、1911年2月1日に医師より「そんなノンキな事を言っていたら、あなたの命はたった一年です」とまで言われても、生活を変えなかったのです。

 不運な人というのは、チャンスを生かせない人です。この意味からするとチャンスを使っている、生かしている啄木は決して不運な人ではないのです。次から次と問題が出るのは不幸だとは思いまが、決して不運であったわけではない、それどころか結構強運の人であったのです。その強運を生かし切っていたかというと、それは論のあるところでしょうが、生かし切ることが出来るような人物であったら、それは啄木ではない、啄木のような詩人ではないのだとも思います。

 啄木は嘘つきで、きわめてしばしば嘘を付いているという証言があります。その嘘は人を騙してやろうということから付くのではなく、自分の夢を現実のものであるかのように話をしてしまうことから出て来ています。これは海王星が根っことなっている嘘です。それを表現せずにいられなかった。そしてそれ故に、進行や経過の影響が明確に出るのです。その上に、啄木の研究はファンが多いために非常に進んでいて、詩を作った日、ものによっては時間まで特定されているものもあります。また、前出の医師に宣告されて作った「そんならば生命が欲しくないのかと、医者に言はれて、だまりし心!」あたりも何時か良く判る詩です。占星術の対象としては非常に興味深い人物です。

 実は、資料集めから初めて、色々と見ていくうちに、何と面白い対象(ごめんなさい)なのかと感心することしきりの状態です。是非、皆さんも、啄木のチャートの解読と分析を一度はやってみると言うことをお勧めいたします。

本稿はffpoemとの協力企画と言うことでの書き込みでした。Stargazerの講座にそのままを追加しておきます。

 
占星術の1つの方法

 あちらでは既に始めたのですが、こちらに同じ事を書いてもひんしゅくを買うだけかと思いますので、どうしても説明調になるかと思いますが、御勘弁のほどを。

 占星術といっても、巷でよく知られているのは、星座占いです。何座生まれというヤツですね。これは、生まれた時の太陽の位置を使っているわけです。1年を12に分けて星座宮というのを作っています。春分の日というのは太陽が春分点を通る日になっています。3月21日と思っていると20日になったりして休みの日の目算が狂ったりしますが、とにかくそこから太陽の通り道を30度毎に区切ったのが星座宮です。夜空に見える星と関係はあるのですが、この春分点は、微妙な量、動いていて、1星座宮を2000年ほどで動いてしまいます。星座=恒星ですから、2000年前に作られた星座と春分点基準の星座宮はだんだんズレて、今は大体1つ分違ってきています。それを占星術を知らない天文学者が、占星術がインチキであることの証明としようとしたのですが、更にもっと不勉強な占い師が、じゃあ天文学者が決めた星座で占っちまえというので、出てきたのが13星座なんです。まあ、当たるはずもないのですが、そこはそれ、鰯の頭も信心からで、ファンも付きます。本が売れれば内容なんかどうでも良い出版社があおりますからかなり流行ったようですね。まあ、そんなのはどうでも良いです。大事なのは、占星術では太陽の他に他の星を沢山使いますし、太陽よりも大事に判断する星もあるということです。例えば月、ムーン、ディアナ、色々な名前がありますね。惑星でも水星金星火星木星土星天王星海王星冥王星がすぐ出てきます。この他に、太陽の通り道が東の地平線にのった点(上昇点、ASC、アセンダント)や一番高くなる点(MC)なんかは需要な点だと考えられています。

 そしてこれらの点にそれぞれ意味づけがされています。トランプやタロウカードにそれぞれ意味があるように、星にも意味づけがされています。例えば愛情と言えば金星です。女性にとってはライバルだったりすることもあります。そして、場所の判断として星座宮の他に、先ほどの上昇点を基本にして天空を12に分割した枠組み、ハウス(不当にも日本語訳は室ですが、この方が意味は正確です)もつかいます。で、結局1人の人間の生まれた時の天体配置を1枚の図にしたものをチャート、あるいはホロスコープと呼びます。その人の一生がそこから読めると言うことになっています。ただし、そう聞くと、一生は決まっているのかと思う人が出てきます。そうだったら話は簡単で、チャートを読む必要なんかありませんね。可能性が詰まっていると考えて下さい。その可能性が現実のものになりやすくなる「時」を導くのに、生まれた時の星の位置だけでなく、たった今動いている星の位置も使います。そこまで聞いたら、何やら大変で難しい作業だなと思われたのではないかと思います。簡単なことではないと思います。天文暦から電卓で計算して逐一チャートを作っていたら、わたくしなんかやるようにならなかったと思います。初めは手作業でしたが、面倒なので機械で出ないかといじくっている内に、できてしまいました。煩雑な計算で間違えるということもなく、快適な環境で趣味の占いが出来ています。啄木にたどり着くまでが大変ですね。次回は本論に入りましょう。

 占星術をやる場合に、的確な判断を下すには、何としても出生時間までが欲しくなります。流れ星はともかく、普通の天体はそうそう速く動く事はありませんが、先に出てきたASC、アセンダントは遅速はあるのですが4分で1度、2時間で1星座宮くらい動きます。月なんかは大体2時間で1度くらいです。すると、出生時間まで分からず、出生日だけ分かっているという状況では、場合によっては月の星座宮すら確定できない事になりかねません。

 身近な人の場合は母子手帳見てきてと言えますが、啄木の頃には母子手帳はありませんから、文献にそれが載っているとものすごくラッキーと言うことになります。例えば、啄木より少し後の賢治は午前4時と午前7時頃という資料があります。何れにしても朝方と言うことになっています。しかし、啄木の場合は、残念ながら調べが足りないせいか、出生時間への資料がないので、分かっているところから始めることになります。もしお読みの方で、こんなんあるぞという事をご存じの方は、FFORTWの11番か12番までお知らせいただくと感謝感激雨霰、もとい、大変有り難く存じます。

 出生時間が分からない場合は、出生時間を推定するという作業に入ります。この作業の前提として、占星術が当たるという点がありますが、まあそれを使って、色々な出生時間を使って、それぞれのチャートを解読し、文献によって知る啄木と合わせて、善し悪しを判断していきます。特に占星術は出来事が起こるタイミング、時を示すのが得意ですので、重大事件の時を使って、それがチャートの中に示されるかどうかが、出生時間がよいか悪いかの判断基準になります。

 この作業が終わると、いよいよ本格的な解読に入る・・・なんて事にはなりません。この出生時間の推定の作業をしていく上で、解読が行われていますから、推定作業自体が占星術の1つの大きなテクニックとなっているのです。この作業は、難しいです。正解が解ると言うことは少ないですし、この作業が出来るようになるまでには、やはりそれなりのやる気と数年の時間が必要でしょう。でも、これが一番面白い作業です。ものすごく難しいパズルのようなものです。占いというと怪しい服装に身を包んで暗い小部屋で・・・というイメージとはだいぶ違うのではないでしょうか。文を推敲していくような知的作業と言っても良いのではないかと思います。

 それで、FFORTWの11番でたどり着いた啄木の出生時間は、今のところ、1885/10/28 18h30m(日本時間)にしぼってきています。ASC、アセンダントは双子座宮で、反応の早い性格ですが、体力的には不利と言うような点が出てきています。

 ASCにこの双子座宮を当てたのは、双子座宮の弱点に肺があるという見方が出来るからです。啄木の死病は結核ですから、肺の病です。双子座宮の関わりが必要です。ここに重要な星があったり、双子座宮を支配している星、水星に重大な障害があれば、占星術的に意味が通ります。出生時に双子座宮に月が入る可能性もあったのですが、月を双子座に入れるように調整すると、他の部分で問題が起きましたので、動きの速いASCを使うことにしたのです。

 更に、啄木の死去した1912/04/13 09h30mの星の位置も用意して、この時に関係する星がうまい具合に「はまる」ように調整していきます。この時、候補になる出生時間はいっぱいあります。ですから、その中から「意味が通る」「スジがある」そして「ピンとくる」ものを選んでいく訳です。

 ところで、出生と死亡の2つの星の位置だけでなく、出生図から導かれる進行図というものがあります。これは人生の大まかな動きを知るためにあるもので、いくつかの方法があります。代表的なのは、出生後の1日を1年と換算して、27日後を27年後として星の位置を使う一日一年法というものがあります。これですと1885/11/25の星の位置を死亡時に対応した星の位置とするわけです。(厳密には時間まで考えます)

 そこで、太陽から月水星金星火星木星土星天王星海王星冥王星にASCの11個を使ったとすれば、出生の時、進行、死亡時の3種33個の星の位置を見ながら、出生時間を調整していって、出生時間を選び出していきます。これが1ブロックの作業です。死亡時でなく、何か別の事件の時を使ってこの作業を続け、出生時間をしぼって行くわけです。

 啄木の伝記、解説、年譜等を見ると、多くの場合、薄幸の天才として扱われ、性格的な偏りに言及するものは少ないようです。

 しかし、大方の読者が分かっているように、啄木の傑出した点と世間的に劣っている点は表裏一体のものであると考えられます。占星術の判断の上からすると、一番の根本に海王星が存在しています。海王星というのは、夢や希望そして欺瞞、酒を初めとして全ての液体、海、薬物などを支配していると考えられています。

 処女詩集の題名は「あこがれ」で、星の中でどれに当たるのかと考えれば、第1番に海王星が出てきます。この海王星は、出生の時の星の配置の中で、重要な位置を占めています。潜在意識、深層意識からの叫びですから、本人の努力とか精進と言うようなレベルを越えているわけです。ですから、啄木としては突き動かされるように突き進んだと言うことなのでしょう。

 何事も曖昧にして霧の中に入れてしまう海王星の中で、1つだけ、ものを書く事のみに集中しているのは、この海王星に対して、情熱と意志の星、火星が強力な作用を与える位置にいるためと考えられます。但し、どちらかというと本人にとっては悪い方向へ流されやすい状態です。海王星は潜在意識の位置に、火星は家、家庭の位置にいます。啄木の希望としては、一生を通じて、家にじっとして物書きがしたかったのだろうと思います。しかし、状況はそれを許しません。海王星の作用です。

 海王星に戻りますが、この海王星に対して、幸運の星、木星が非常によい位置にいます。木星は本人にラッキーチャンスを与える星です。人生の幸福は何処にあるかというと大抵は木星が示しているのです。海王星の夢、そして芸術方面への才能は天与のものなのです。

 啄木は薄幸、次から次へと不幸が重なっていくと考える人も多いのですが、それは、啄木の作り出す作品にとって糧のようなものだったと考えられます。世間的に不義理をし、多額の借金をする生活をしていたことは詩作の障害でもあり肥やしでもあったと言うことが出生の時の星の配置から出てくる特徴です。

啄木を理解する上で、占星術では海王星への分析が初めにあることを前回述べましたが、この海王星の働きはいろいろ名方面に現れています。例えば啄木は各方面で嘘を付いています。この嘘は詐欺を働く為に付いているのではなく、自分の夢を語っているのです。自分の夢を語らなければならないほど、啄木にとっては夢は確かなものだったといえましょう。これは間違いなく夢の星、海王星の働きです。

 しかし、如何に大きく豊かな夢を持ち、それを表現する才能があったとしても、それが世に出るとは限りません。それには他の星の力が必要です。その援助する星の代表は木星です。出生の星の位置では、その木星と海王星は協調関係にあり、内在するパワーはチャンスがあれば必ずや世に出るでしょう。木星はチャンスの星なのです。

 そのチャンスは何時やってくるものかは、出生の時の木星ではなく、その時々、刻々と動いていく木星を使います。チャンスは常にあるわけではありません。ある時にパッと出てきます。それが、出生の時の星の位置に対して何らかの関係を持つと出てくると考えられます。つまり、日々動いていく木星と、出生の時の星が何らかの関係を作る時がチャンスなのです。

 啄木の場合は、その木星の作るチャンスの中で代表作の『一握の砂』を初めとして『あこがれ』も含め、代表作となった出版のほとんどをしています。逆に言うと星の援助のない時は出すことが出来なくて焦燥を味わっています。しかし、作品のできあがった時期は、どちらかというと悪いとされる時期の方が多く、逆境の中での方が良い作品を作る傾向があります。

 年表を見ていくと、啄木は薄幸であったかもしれません。不幸が次々と襲うように見えます。しかし、チャンスの時を生かすと言うことに関しては、強運です。非常に強い。良い時のほとんどをちゃんと使っています。人生3度チャンスがあると言いますが、これは60年くらいの期間に3度というのですから、算術上では啄木には1度しか当たらないでしょう。しかし、細かな幸運期をも含め何もかも使っています。

 啄木の人生の最後の幸運期は実は入院した頃にあります。この時、啄木は自分の先に横たわる死の運命を回避できるチャンスに恵まれたのです。しかし、啄木を啄木たらしめている、詩以外のことは、文士として生活すること以外は、一切省みないそのスタンスによって一時回復するだけに止まり、医師の予言のように最後の時を迎えることになります。

 なにか、もうずっと書いてしまいそうなので、この辺で啄木さんにお別れしたいと思います。啄木は、非常に興味深い対象です。占星術で見る場合、出生時間がハッキリしていないとなかなか難しいのですが、人生の記録がよく調べられているし、その上、事実だけでなく心象もあるわけですから、占星術の勉強にはもってこいだと思います。詩フォーラムとの共同企画というので、たまたま選んだのですが、調べれば調べるほど面白いので、自分だけ楽しんでしまったようで申し訳ありません。