mS's Ast. 吉宗

 徳川吉宗。大河ドラマで取り上げられてブームになる歴史上の人物は何人もいますが、その中でも、幾つかの意味で群を抜いた存在と評価されているのが吉宗です。伝えられている逸話は実に多く、また疑わしいものも数多く、本人の人気が歴史的なものであることを示しています。東京付近の方であれば、上野寛永寺に有徳院の宝塔がありますから、見学、お参り等も簡単であると思います。また、王子の飛鳥山公園もゆかりの地ですから、散策によいでしょう。皇居はともかく京浜東北線沿いですから、何かのついでにどうぞ。

 さて、占星術の立場では、何はともあれ出生日が欲しいものです。嬉しいことに、NHKの大河ドラマというと、関連書籍がどこからかたくさん出てきますので、いろいろと比べて買い込むことが出来ます。本当であれば、『徳川実記』の様な基本的な史料を揃えるべきなのですが、そこは素人のやることですから、勘弁していただきましょう。

 どの本を見ても、貞享元年10月21日と書かれています。「蠍の始まりは23、4日位やさかい吉宗(の太陽)は天秤の終わりか!」とやったら大間違い。古い資料を見る時は注意しなければならないことがあります。それは、暦(こよみ)です。我々が使っているグレゴリオ暦とは違う考え方の暦がたくさんあり、現在も使われているものをあります。例えばイスラム社会やユダヤ教の祭日では独自の暦が使われています。

 旧暦と呼ばれる、日本で明治5年12月2日まで使われていた暦は、太陽太陰暦と呼ばれる、月齢を使って「月」の日にちを定め、1年と12カ月の関係は閏月を使って調整する方法を使っています。暦の精度は、日食や月食の予報精度となって表れますが、面倒な点はこの閏月の入れ方で、色々な入れ方が考えられます。

 能書きが長くなりましたが、つまりはグレゴリオ暦に変換しなくては使えないと言う事なのです。学者が研究して対照表が作られています。その種の本は、そう手に入らないと思いますから、図書館などで探した方がよいかも知れません。そして、この面倒さを簡単にする方法はありません。変換プログラムを期待する声もあがると思いますが、手作業が勘違いの危険を考慮しても、もっとも確実な方法です。

 さて、対照表によれば11月27日です。「射手やでー」

 次に、時間が判りません。時間が判らないと月の星座すら定まらないこともありますが、取りあえず昼の12時にしておきましょうか。12時というのも現在の1日の考え方なのです。1日の中央として12時を出したのですが、一日の始まりは日の出であることも頭の隅に置いて下さい。時計は既に輸入されていたはずですが、いつ12時になったかは腹時計での時代ですから、誰でも判る区切りが使われていたのです。西暦1684年11月27日12時(時間は仮)和歌山で入力しましょう。

 先ずはチャートを眺めておいて下さい。(注、時間不明ですよ)



 HORO3NPT.EXEで読み込める時期表と同じ形でイベント・データのファイルを作り読み込んで使うことが出来ます。以下の-----で区切られた内側を切り取って、mSの出力ディレクトリに入れて下さい。ファイルの最初の行に入っている9がGMTとの差を意味しこれを元に時期表のデータを使うようになっています。
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吉宗.ASP 9 JST (1995-02-23) 吉宗時期表
1697年05月30日12時 4/11 越前丹生郡領国三万石
1705年07月04日12時 5/14 長兄綱教死
1705年09月25日12時 8/ 8 父光貞死
1705年10月25日12時 9/ 8 次兄頼職死紀州藩主
1716年06月19日14時 4/30 吉宗将軍後見
1716年09月28日12時 8/13 将軍宣下
1751年07月12日12時 6/20 死
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 吉宗の長い一生の間の何を取り上げるかは、色々な考え方がありますがこのファイルは、1.部屋詰めから領地持ちになる。2.紀州藩主になる。3.将軍になる。4.死ぬの4種の出来事が含まれています。12時と言う時間は、仮のものです。

 次にホロスコープ3重円の設定ですが、この時期は天王星が発見される前(発見は1781年)の時代ですから、太陽から土星の7星とASC+MC+ノードの10感受点でNPTを全て設定して下さい。さて、用意が調ったところで、吉宗を読み込み、リターンキー連打で、チャートを出します。そこで[T][RET]とすると、先ほどの吉宗.ASPが[吉宗]と表示されているはずです。それを選び[RET]でファイル内容が表示されます。一番下に表示されているものが[RET]で読み込まれます。その後、計算地の選択です。吉宗の場合は、和歌山と東京以外の用はないでしょう。

 さて、何をやろうとしているのか、そろそろ想像が付いたと思います。そうです。出生時間の修正です。行動パターンから、ある程度の上昇宮の見当を付けるものですが、その前に、とにかくチャートを見てみると言う考えで、始めましょう。データ表示がnatal(出生)の時に+か−を押して数字、次にY年、D日、H時、M分、S秒で出生の修正になります。データ表示が進行経過の場合は経過時間の修正になります。

 出生時間を色々といじってみて下さい。
 出生時間の推定には幾つもの方法が考えられます。原則的には、実際の現象とチャート上の出来事が対応するような出生時間を求めることになります。今まで解説してきた占星術上のテクニックの逆をやると考えたら理解が早いかも知れません。従って、多岐に渡る現象とテクニックの総合力となりますから、決まった手順は無いものと考えた方がよいでしょう。 推定の一番困るのが、日付だけ判っている場合で、これが一番多い例でしょう。1日でASCは、黄道をほぼ一周してしまいます。上昇宮すら判らない場合は、上昇宮の推定から始めるのですが、これがなんともあやふやな作業です。と言うのは、上昇宮の性格や容貌を完全に実現しているのは、むしろ珍しい例で、その他の要素の影響が大きい場合もありますから、如何にも牡羊座宮の行動と容貌だと思っても、チャートで火星が強調されている場合や、本人が火星主導で生きてきた結果だったりすることも有り得るわけです。 駄目だ、難しいとばかり言っても、話が進みませんから、吉宗での話を考えてみましょう。伝えられている性格や言行で、直接的にASCの星座宮を推定することは危険ですから、最初の吟味で考えおくに留めて、一生を通じてどうだったかをまとめてみましょう。 吉宗は、徳川家の男として生まれたわけですから、それなりの大名や将軍となる可能性があります。腹は仮腹の時代、それ以外の出自を持った者とは、最初から「身分」の差があり、同じ部屋詰めの立場でも、その他の大名家とは全く扱い方が違います。彼は血統の良いサラブレットの生まれなのです。そして、それなりに奔放な青少年時代を過ごしたと記録されています。 そして、兄たちが死んで紀州藩主となります。そこで直面したのが、破綻した藩財政です。歴史的な流れから言えば、商品経済が勃興し、旧来の経済コントロール方法では、段々とうまくない状態になってきた時代です。藩としてそれほど収益の良くないところに父や兄たちの結婚費用や葬儀費用で、倒産直前まで逼迫したなかでの、藩主就任で、改革策を講じなければならなかったのですから、手放しで喜ぶことは出来なかったでしょう。 打った策は当たり、藩財政を立て直した吉宗は、将軍への道を歩んでいきます。周到に準備し、根回しをし、その結果としての将軍襲封でした。しかし、藩主になったときと同じように、幕府財政を立て直すことが彼の仕事となりました。1つの藩で成功した策の効果は、あまり良い出来ではありません。1つ綻びを繕うと、次の綻びが出てくる状況で、引退するまで苦労したはずです。幕府の栄華を支えた金山は掘り尽くし、収入は年貢米だけとなり、まして経済の主導は商人達へと移る時代ですから、それこそ流れに杭を打ち込むような仕事が必要であったはずです。 さて、どうでしょうか。この様な一生に当てはまるようなASCとその動きがあるでしょうか。 色々な答えが考えられますが、その1つとして、射手座宮上昇が考えられるでしょう。つまり、太陽と同じ星座宮の上昇です。ASCが進行して、奔放な射手座宮から、権力の山羊座宮&水瓶座宮を通って、魚座宮でご苦労さんと考えるのです。 前回、感受点の設定で天王星から冥王星、小惑星を外しましたが、当時に合わせた考え方からすると、水瓶座宮の支配星は土星、魚座宮の支配星は木星、蠍座宮の支配星は火星になります。 すると、ASCの通過する星座宮の支配星は木星→土星→木星と言う形になります。木星がラッキー・チャンスの星であり、土星が制限束縛の星であることに変わりありません。 さて、射手座宮上昇と言っても、当日の6時22分から8時41分までの範囲があります。この範囲で、前出のイベント・データを使って、出生時間を求めて行くのですが、それは次回に続くと言うことで・・・。
ASCを射手座宮と推定したのですが、ここまで来れば、次の手が打てます。次の手は、単純に「イベント」の時の経過を重ねてASCを動かしてみる方法です。取り合えず、出生時間を8時に設定しましょう。登録した12時から[−4H]です。そこで、時期表ファイルを読み込みます[T]。特に注目したいのは
  1697年05月30日12時 4/11 越前丹生郡領国三万石
  1705年10月25日12時 9/ 8 次兄頼職死紀州藩主
  1716年06月19日14時 4/30 吉宗将軍後見
  1751年07月12日12時 6/20 死
 の4つと思われますから、次々に見てみましょう。ASCが進行や経過と何らかの座相を持つ場合と共に、進行するASCの持つ座相が判断基準です。
  越前丹生郡領国三万石: 経過の木星が事態を表しているようです。進行の太陽又は水星がASCが関係している可能性もあります。経過の土星と太陽に対して、出生の火星がグランド・トラインを作ります。この出生の火星に出生進行のMCが関係している可能性があります。
  次兄頼職死紀州藩主: 前例と同じように経過の木星が事態を表しているようです。また同じように進行の太陽又は水星がASCが関係している可能性もあります。
  吉宗将軍後見: 進行のASCの位置は重要なはずです。チャート内の感受点と強い関係=座相が在るはずです。
  死: こちらも進行のASCの位置を考える必要があります。

 ざっとですが、以上のような考え方で出生時間を動かしていくうちに、段々とカンが働いてきて、どのイベントにも納得いく時間が出てきます。カン等というと、曖昧であてにならないと思う人がいますが、実はこれが一番大切なことです。

  さて、更に次の手です。と言うよりは、わたくしの場合は手順かまわずで色々な手を使ってしまうのですから、順番には余りこだわらないで下さい。 経過のテクニックに回帰と日食月食(新月満月)がありますが、似たような方法ですから、回帰で考えてみましょう。 吉宗将軍後見になった時の経過を表示しているときに[R]とすると回帰計算ルーチンに入ります。この場合はソーラ・リターンで良いですからそのままリターン、回帰計算年月には171511??でリターン(?は何でも良い数字)、経過地は東京です。 出生時間が8時の時、回帰図のASCは獅子座宮の0度です。太陽回帰のASCは、次の回帰までの性格への影響を表しますから、王位を表す獅子座宮とはスジがあります。さて、回帰のASC、出生のASCと出生時間の関係は、直接的に関わっていますから、回帰のASCの位置を修正することが出来ます。今の例では、回帰ASCを出生の月にピッタリ乗せるように出生時間を微調整してみる手があります。

  出生時間と感受点配置の組み合わせは、以上のことを考えれば、膨大な組み合わせが考えられますし、1つであるはずの答えが、1つにならないことも出てくるでしょう。1日=1440分のそれぞれの分別チャートを各イベントで書いて、比較検討するのが、「科学的」なのですが、実用的ではありません。まして、未だ人生の大事に遭わずに、出生時間の推定が難しい場合だってあるのですから、ますます、カンの冴えが問題になってきます。カンは優劣はともかく誰にでも有るのですから、磨き方次第です。実践あるのみ。まして、「修正」は何も特別な方法ではありません。勿論、何かの本を読んで、やり方を修得すると言う初歩的な方法は使えない分野です。
 前回のような方法を用いて、イベントとASCの関係を調整しながら、試行錯誤してみた結果、出生時間として7時45分が良さそうな気がしました。これは、もしかすると、別の時で気分が違うと、また違った結果になるかも知れません。ASCは射手座宮の17度です。 出生データメンテナンスを使って吉宗のデータを修正して、改めて出生図を見ましょう。3重円NPTでは3重円表示から[1]で出生図になります。 使用する天体の全ては地平線よりも上にあります。この人は個人的な内面生活よりも、社会的な外部に働きかける生活をすることになります。太陽が上昇星ですからその働きはますます活発なものになるでしょう。 太陽は出生時間に関わらず射手座宮ですから、射手座宮の奔放さが性格の基本にあります。しかし、射手座宮の奔放さは、本来、完全な好き勝手なのではなく、内に秘めた哲学あっての奔放さです。そしてASCも同じく射手座宮と想定しました。象徴星は木星です。 月は、修正された出生時間では蟹座宮の最後です。天秤座宮の金星と共に自分の支配する星座宮にいて強い影響を持っています。この月と太陽は許容度はやや広めですがトラインになっています。つまり、進行なり経過の天体が牡羊座宮の第1デーグに入ってくるとグランド・トラインを作るのです。ところで、その位置にはICがあります。ICとMCは相補のものですから、自我(MC)の基盤を作っているのがICと言うように考えることが出来ます。別の言い方をすれば、太陽と月とMCでセミ・グランド・トラインを作っていると見ても良いでしょう。ここには大きな関わりがあります。 天秤座宮には金星、火星、木星があります。日月5惑星しか使わないのですから、その内の3星が入っているのは集中していると考えて良いでしょう。キャンパナスでは10室と11室にまたがり、プラシーダスでは10室に入ります。MCにもっとも近いのは火星です。「意志」の人と言うわけです。天秤座宮は外交、交渉の星座宮です。天性として人付き合いや駆け引きに秀でた部分を持っているはずです。交渉のハウスは7室ですが、7室には天体はありません。ハウスカスプ(室境界)は双子座宮で、サイン・ルーラー(星座宮の支配星)は水星、水星は蠍座宮、12室で土星と60度の座相を持っています。 吉宗の駆け引き、交渉、人使いは天性の能力に加え、水星の表す「隠れたもの(12室)に対する知恵」、つまり積極的な情報収集とその活動、実務能力(土星と水星の60度)によって作られていて、それで1つの時代を画す事が出来たと言えましょう。 運が良いと言ってしまえば話が終わってしまうのですが、運を引き寄せるための努力を怠らないからこそ、中興の祖となりえたのです。
 ところで、吉宗ばかりを見ていても見えてこないものがたくさんあります。目を転じて、まわりの環境を整理してみましょう。

  この時期1700年頃、世界を見ると最大の版図を持ったのは清です。産業や経済、学問文化にいたるまで、例の無いほど発展した国家になり、朝鮮、ビルマ、タイ、ベトナムはその力に属国となっていました。勿論、人口は激増し、一切合切、世界のトップの帝国になっていました。続いてムガール帝国、ロシア帝国、オスマン帝国の名が覇を握っていた時代です。世界の端の方では、スペインやポルトガルそしてイギリス等が新大陸の富と人々を踏み台にしてのし上がってきています。その侵略で1500年から1600年までの間に新大陸の3500万の住民は200万に減ってしまいました。新大陸の次の略奪先はアフリカです。アフリカも徹底的に収奪されたことは記録に明らかです。 清国の影響圏以外のアジアは、ヨーロッパ列強によって次第に支配されていったのが吉宗の時代です。日本が清の属国にならなかったのは色々な理由があるでしょうが、幸いなことに、とにかく離れ小島で鎖国をしていられたわけです。清は欧列強の産業革命以降の徹底的なアジア侵略、それまでの単に支配下におくだけでなく社会構造までも資本主義的な属領とする形での支配によって弱体化しながらも、結局はその国土を中華人民共和国に残しています。明と清は今一度、その存在を見直しをしなければならない国家です。

  となりに世界ナンバーワンの帝国があり、独立を維持していた徳川幕府は、改めて評価するべきでしょう。 その江戸幕府は、江戸を作りました。江戸幕府が出来た頃の江戸は、すぐ水の出る低湿地か、水のない台地かと言うようなひどい場所で、とても人の住むようなところではなかったと伝えられています。その江戸の低湿地の解決に関東の水系を動かし、台地に水道をとおし人の住める場所に改造していったのです。利根川水系は第2代秀忠に始まり、一応の工事が終わったのは第4代家綱の時です。そして、当時、世界最大と言われる大都市を建設したのです。また、大井川の改修を費用度外視して行わせたのは吉宗であり、濃尾平野で大規模な工事が行われたのは吉宗の息子家重の代です。

  この時期の特筆すべき自然現象、災害は1703年12月31日午前2時(元禄16年11月23日、吉宗は二十歳)に元禄大地震、推定マグニチュード8程度の超巨大地震があり、江戸城下は全滅、火災、津波の被害も多く死者数千と言われています。続いて、1707年10月28日(宝永4年10月4日)日本最大級地震、死者推定2万、そして、日本のご神体、富士山噴火、宝永山出現が宝永4年11月23日にありました。

  経済的な観点からすると、江戸時代に入って100年あまり、産業振興によって生産力が向上し、次第に幕府が全てを支配統括できなくなってきた時で、支配体制と扱う社会の間できしみが生じてきた頃の事です。享保の改革はそれらの問題を解決したわけではなく、それらの関係が整理され、より、逼迫した形での対決と、社会システムを生み出す遠因になっているものと思われます。

  能書きはソロソロにして、つまりは、吉宗の仕事は決して勝つことの出来ない相手に対して、負けなかったと言う基本を押さえて、チャートに行きましょう。 土星以遠の惑星が追加された今でさえ、解読上、土星が最も重要な天体です。吉宗の太陽(生命力そのもの)にどう働いているでしょうか。早速、太陽回帰を見ましょう。吉宗の存命中の太陽回帰は66枚あります。暇な人と、興味津々の人は66枚を出して見るべきです。時期表で出生の太陽と経過の太陽、出生−経過のコンジャンクションだけを選択して、時期は1685年10月から1750年12月、ファイル出力で出すと簡単に見ることが出来るでしょう。 しかし、わたくしをはじめとして気の短い方は、次のような手を打ちましょう。3重円NPTで[F]天文暦を使います。 開始は168411270745となっていますね。間隔は1年にします。000100000000です。勿論土星です。 出たものから射手座宮の太陽に近いものを探します。上から8番目に射手座宮の3度があります。1691/11ですね。1691年を記憶しましょう。次に開始を29年足して、172011270745でやってみましょう。上から2番目の射手座宮の8度、1721年も記憶しましょう。更に29年を足します。175011270745ですね。今度は、一番上の行で1750年を記憶します。 さて、1691、1721、1750の3つのデータが求められました。これは、太陽回帰に土星がかぶっている時を求めたのです。それでは回帰図に行きましょう。[ESC]で天文暦を終わらせて、[R]です。solor Ret.ですからそのままリターン、回帰計算年月は169111??でリターン。回帰地は、東京にしておきましょう。
 1691回帰:土星は回帰の月とスクエアですが、太陽とはやや離れています。数えで8歳、ことによるとこの時期に兄やそれらの家来によっていじめにあったのかも知れません。
 1721回帰:1691と同じように、ハードなアスペクトではパンチに欠けます。ただし、何事もなかったわけではなく、この時期、将軍になってから取った通過混乱、生活の奢侈、経費増大を強力な緊縮政策で切り抜けようとした作戦がうまく行かず、財政は逼迫、金蔵に金がほとんどなくなるところまで来てしまい、「上げ米令」を緊急処置として行い、根本的な収入増加策に転じるのは1722年からの事になります。
 1750回帰:土星は1.5度の範囲で太陽に乗っています。端的に言って、太陽と土星のコンジャンクションは健康障害、何しろ厳しい状況、鬱です。これが最後の回帰となったとしても不思議はありません。勿論、これを見ただけで死と断じることは、半身不随になったり、痴呆症になった例もありますから、難しいものがあります。それでも、進行や回帰で月の金星のコンジャンクションがあったりで、いろいろと興味深いチャートになっています。出生で死の部屋、第8室にはその月がいて経過の火星(天秤座宮)とピッタリのスクエアです。天秤座宮の支配星は勿論、金星で腰の部分、腎臓から尿道が身体の部位です。出生では天秤座宮に火星も金星もいます。この辺りはものすごくスジがあります。興味の湧いた方は、吉宗の直接の死因を調べることをお勧めします。 このチャートから、日本のトップに立ちながら、自分の仕事に関しては無念の思いで死んだのではないかと言う気がして仕方ありません。米の支配星が土星だったことに気付きませんでした。今はどうでしょうか。それにしても米将軍と呼ばれ米相場に翻弄された一人の責任者の苛立ちが伝わってくる気がするのは、考え過ぎでしょうか。