徳川 家康 part2(20090123)

徳川 家康2


 一昨年の家康関する分析は、暫定的に出生時刻を午前4時として行いました。寅の刻という記述から、取りあえずの4時と言う選定です。これが正しいかどうかというのは、また別の話になりますが、概ね、30分以内のところかなぁ、という感想があります。もちろん、分析の過程で星の具合と事件の状況が合わないということになれば、更に調べることが必要です。ここで、更に細かく確度を上げた占断の為に、出生時刻の推定作業が課題として登場します。
 出生時刻の推定作業(レクチファイ)の基本的な考え方は、イベントチャートの経過感受点位置と、出生進行の感受点位置については強力な関係があるはずだということです。イベントが大ごとであればあるほど、関係は強力であるはずです。そして、この考え方から、出生時刻の推定の作業は、出生図の分析は勿論として、各種のイベントチャートとの関係を、逐一、調べることが必要となります。
 そうすると、イベントの選定、出生時間を調整しながらの座相等のチェック、出生図へのリファインと、かなりの作業をこなすことになります。特に疑わしい時刻が選定されそうになると、他のイベントとの相関が判断基準として出てきます。イベントチャートが増えれば増えるほど加速度的に作業が増えていきます。
 ここで、発想を転換して、イベントチャートを固定し、出生時刻を動かすという方法が出てきます。そして、各イベントでの座相形成時刻を求め、イベント毎の確からしさを他のイベントと比較しながら、確からしい出生時刻に接近するのです。

 重要な出来事として、前回の解読と同じ事件を取り上げます。
  三方が原の戦い1573元亀3/12/22
  築山殿事件1579天正7/8/29
  本能寺1582天正14/6/2
  小牧長久手の戦い1584天正12/4/9
  家康関東転封1590天正18/7/13
  関東御入国1590天正18/8/1
  家康関ヶ原1600慶長5/9/15
  大阪夏の陣1615元和1/5/7
  家康死亡1616元和2/4/17

 以上のイベントで、関東転封と入国は時期的に近いですから、1つのイベントとしても良いでしょう。また、生命の危機に瀕したのは三方が原と本能寺です。もちろん、この時代の戦いには命がかからないものは無いといって良いのですが、その中でも火急の危機に陥り、機転の利いた脱出が必要だったのが、この2つであると考えられます。これらのイベントについて、出生時を3時から6時まで動かして、その間の座相を調べると以下のようになります。(作表には天王星以遠の感受点を外しています)
1573年02月04日16時00分 ** 三方が原の戦い1573元亀3/12/22
1579年09月29日12時00分 ** 築山殿事件1579天正7/8/29
1582年07月01日09時00分 ** 本能寺1582天正14/6/2
1584年05月18日12時00分 ** 小牧長久手の戦い1584天正12/4/9
1590年08月12日12時00分 ** 家康関東転封1590天正18/7/13
1590年08月30日12時00分 ** 関東御入国1590天正18/8/1
1600年10月21日12時00分 ** 家康関ヶ原1600慶長5/9/15
1615年06月03日12時00分 ** 大阪夏の陣1615元和1/5/7
1616年06月01日10時00分 ** 家康死亡1616元和2/4/17

 これらの表から、それぞれについて出生時刻を評価し、特定の時刻についての評価総計を考えます。
 例えば、三方が原の戦いでは、無計画な戦闘による惨敗と死の恐怖を存分に味わった事からすれば、やはり土星の強い接触である03時51分や04時16分、04時51分等が出てきます。特に本人にとってショックであったり、後々にターニングポイントとなった時点が重要であると考えられます。先ずは04時16分として、各イベントについて調べ、更に他の出生時刻についても調べていくことで占星術上の出生時刻を選定していきます。

 今回のイベントからすると三方が原で出てきた3つについてが、やはり筋があります。ほぼこのやり方で、出生時刻が特定出来るでしょう。しかし、この方法で絞りきれない時は、イベントとして、肉親の誕生と死を使うというのが次の手としてあるでしょう。家康で言えば、三男徳川秀忠、九男徳川義直、十男徳川頼宣、11男徳川頼房が長生きできた嫡男として上げられます。問題点としては、このような精密な出生時刻の特定作業には、イベントとしての後継者や親たちの出生時が曖昧であるという点です。この事については、巾一日以上の誤差があることを念頭におくことが必要です。