sdwd占星術講座 占星術の定義
    

占星術の定義

 占星術をどのように定義するかという問題が最初にあります。ここでは天に顕れる星々の配置や運行と人間が関わっているという考えによる技術体系と言うように考えましょう。その考えが元になって、ホロスコープのような整理された情報として扱う方法もあるわけです。つまり、春分点が何座にあると言うことで時代を決めると言うことから、個人の運勢を見ることまで、きわめて広い範囲が守備範囲に入ってくるわけです。それぞれの分野にはそれぞれの技術、方法論が展開されているのです。種蒔きの時期を決めるという農耕社会での重要事も、太陽位置と季節を問題にするならば、立派な占星術です。
 

占星術の歴史を遡って、その古さで権威付けすることが危険であること

 歴史を遡ると、文明の指向もありますが、大方、どの文明も占星術と関わりがあるように思えます。言い方を変えれば、文明そのものが占星術だったりするわけです。ただし、例えば遺跡に星座が書かれていたからと言って、それが占星術の存在の証明にも、そして非存在の証明にもならない事を忘れてはいけません。また、文献がないからと言っても、その技術がなかったという証明にはならないわけです。
 また、これらの文物、遺物・遺跡の解釈については、我々は論理性の勝った左脳を基本に社会を作っていますから、ほとんどの古代文明の、直感を主たる原動力とする右脳社会を分析(分析して理解しようとするのが左脳)するのに間違いを犯しているように思います。
 文字が発達して記録が残り大きな文明を築くようになったというのが一般的解釈ですが、文化の継承と言う点で言えば文字を使い出すと言うことは逆に記憶力による文化が失われると言うことになります。まして口伝えの伝承が一言一句全て記録されたわけではないでしょうし、異伝、別伝が体系的に収集され文化人類学的研究が行われたとは考えられませんので、質的な変化があったはずです。また、我々は、徐々に発達してくるという直線的な進化論で考えてしまうので、原始状態に退行することをほとんど考慮することがありません。
 不完全な証拠から全体像を導くことが出来るのは、右脳型直感で左脳型論理には荷が重いことです。不完全な解釈と思いこみで、事態を正確に認識できないことはよくあることです。エジプトのピラミッドは王の墓というのが定説ですが、何に使われたのか、何のために作ったのかと言うところが理解できないので、王の墓だと書いた古人の話をそのままにして定説となっているわけです。左脳論理からは知り得ない右脳社会が必要としたピラミッドが何に使われていたか、興味のあるところですが、魔術文明といわれる古代エジプトの伝えられていない何らかの秘儀があったのではないでしょうか。
 各文明の各時期で占星術の使い方に、どの様な癖があるというようなところまでの研究が欲しいのですが、学問的研究者は占星術の否定と言う態度を示したいという欲求があるために、満足な研究になっていないのは仕方のないことかもしれません。まして、前述のような考え方の壁があるのですから、学者の「説」を鵜呑みにするのも、正当な態度とは思えません。
 しかし、明らかなことは占星術の始まりは天変占星術であり、天の予兆と地上の事象(天災、政変)が関わっているという認識があったということです。続いて個人占星術が発達しました。この個人占星術については、古代ギリシャ時代の文献に宿命論とその反対派の論議があったことが知られています。かなり早い段階から運命についての論議はあったようです。
 また、今の占星術の方法論と中世に行われていたやり方では、かなり違いがあります。星座上の位置について現在より細かく見ていた部分があります。

最近の風潮

 占いの分野で言えば、最近は下火になったようですが「風水」がまだ流行しているようです。本屋さんの占い本コーナーには風水の名が並んでいます。でも中身を見ると家相や九星術で、風水ってこんなものだったっけと首をひねるものがほとんどです。占星術でも13星座などと言うものが出てきて、本が並んだ時期もありました。
 これらのとにかく売れればよいと言うものが、人を迷わします。これらに荷担した者は人を迷わした、もっといえば騙した罪として八熱地獄が用意されているようですので、わたくしとしてはわざわざ非難や反対宣伝をしなくてもよいし、気持ちの点から言えば、はなから関わりたくありません。
 また、最近は心理占星学という分野が出てきていますが、それでいえば、民族、居住地域、居住情勢についての研究は見かけませんし、時間的な違い、つまり古代人、近代人、現代人での精神構造の違いや、文化体系の違いという点についての研究も見かけません。この点については、根本的で重要な要素であると思うのですが、昨今出版されている書籍を見る限りでは、何の考慮もなく、はっきり言って皮相な形で学問の名を語っているだけにすぎない状態であると思います。前提として、占星術が当たると言うことがあるわけですから、当然、学問になるはずがないのだといえます。まあ、学問だからよいというものでは無いのですから、これも放っておきましょうか。

閑話休題

 何はともあれ、占星術してみましょう。


    


天宮図の解読とそれがはじまりであること


 占星術のはじめは、天宮図が読めるようになることです、と一言でかたずける訳にいかないのが天宮図の解読です。この作業は、人生に対する解読でもありますから、熱心に学習に励んだとしても、そうそう簡単に上達しませんし、どれだけ出来るようになったのかが数値で出るようなものでもありません。
 では、どうすればよいのかと言えば、とにかく解読作業をやっていくしかありません。実占を積む内に得意や分野、勘の働く分野が出てくるものですし、そうならなくてはいけないでしょう。
 占星術の本では、出生図と呼ばれる天宮図を解読をすることに主眼を置いているものがほとんどです。とりあえずは、これらでも良いでしょう。その際、これら出生図の解読が占星術の最終到達点ではないということは押さえておいてください。出生図の解読で占星術が終わるのであれば、占星術は宿命論になってしまいます。
 人間の活動には努力というものがあります。この努力を認めない宿命論に陥ってしまったら、なんのために占星術を学習しているのか判らなくなってしまうでしょう。このまま行ったらどうなるかという情報を得て、未来を望ましいものにしようとして占いをやるはずです。単に、運勢が良いか悪いか、この恋はうまくいくかというような事だけで占いをするのはもったいない話です。その場の安心感を得るためにやる「良い結果が出るまでやる占い」は、それなりに意味があり重要な役目を持っているのですが、占星術の分野はそれよりやや広い守備範囲を持っています。
 出生図を見ると持ち主の性格や運命傾向が見えてきます。つまり、例えば、「幸せな結婚をして遺産も入る」というような期待に満ちた判断が出る場合もあれば「悪いのにだまされて苦労する」というようなものもあるわけです。ですから、多くの本が先ず出生図の解読の方法について解説します。当然のことですが、ページ数は限られていますから、出生図の解読が手一杯で、それで終わってしまうでしょう。
 ところで、出生図を解読できるようになったとして、それで必要な情報は得られたでしょうか。もっと具体的にいつ頃、いい人が現れて、いつ頃事件や病気に気を付けていれば良いかも知りたくありませんか? 知りたくないという人はここまで来たら居ないでしょう。そうなったら、出生図だけでは無理な部分が出てきます。そこで進行図や経過図という出生図を拡張した技術が必要になります。これらの拡張部分は天宮図の解読という点では同じものがありますから、進行図や経過図を見ながら、より深く読むことが出来るように頑張ってみましょう。そして、その力を再び出生図にフィードバックして解読することになります。
 つまり、出生図を読める状態というのは進行図や経過図も同時に読める状態であり、逆にいうと進行図や経過図を読めない状態では出生図は満足に読めないということになるのです。ですから、出生図だけを読む練習をどんなにしても出生図を読めるようにならないのです。かなり逆説的な表現になっていますが、この部分が占星術を習得する上で難しい部分なのです。これが出生占星術と呼ばれる分野です。
 そして、出生図・進行図・経過図が読めるようになったらそれで終わりかというと、そうではありません。まだまだ先はありますが、まあそれはそれと言うことで。

 占星術の中でも、今ではやや少数派にはなりますが、何かの予想予測に占星術を使おうという考え方も出てきます。と言うよりは、予兆占星術自体が、占星術の始まりと考えても良いのですから、天に見える現象が地上の現象と関わるという原則から、予測技術として使い出したと見て良いでしょう。まあ、科学的な予測だって科学の皮をかぶった丁半の世界であることに変わりはありません。それはともかく、この場合、その時の天宮図を使いますから、その解読・解釈が鍵になります。どちらかといえば、出生図を読めというよりは、こちらの方が1枚の天宮図ですから簡単に思えるかもしれませんが、そこは、どれだけ深く読めるかということと、星の位置の変化を問題にしたりすることもありますから、決して簡単なことではありません。

 さて、どうすれば占星術が上達するかというと、最初の方で述べたように、天宮図を読む練習を地道にするしかないのです。何時間かレクチャーを受けてそれで出来るようになるといった速成教育のような近道はありません。その様なものがあったとしても、できる気分になるだけで、役に立たないのです。まあ、その気分になるというのも大事ですが。
 出生図(ネイタルチャート)と呼ばれる生まれた時点の天宮図を解読(翻訳)して運命の傾向を知ると言う作業は、今述べたように占星術の中の一部分です。ここだけでよいのならば、何も苦労して占星術を習得する必要はありません。金を払って人にやらせればよいのです。考えてください。大抵の重要な人生の問題は、ここでチョコチョコッと天宮図を見たり、あるいは他の占いをしたとしても、そうそう変わるものでもないし、本気で変えたいのなら、運命に向かって全身火の玉になって突進する覚悟でやらなければならないでしょう。
 占星術は運命鑑定というよりは未来予測の道具として存在しているのですが、「術」と言うには少々力が足りません。と言うのは、これこれの条件ではこうなるという法則があるにはありますが、常に100パーセントというわけではありませんし、条件も微妙なものだったりすることが多いのです。正直なところ半分から8割方でしょうか。まして、占星術の作業が機械的に行われると宣伝し、科学的であることを強調する方々もいますが、実際の所、占星術の判断は機械的に出来るものではなく、多方面に渡る教養とその上に立った強力なインスピレーションを必要とする、かなり難しい分野です。そのような中で、占星術がどの様に使われるか、使われるべきであるかと言うことについて明確にしておきましょう。
 占星術は道具ですから、人間に欠けている部分を補うために存在しています。その1つに未来予知があります。未来について予測し、その情報を元に行動して、幸福を求めるというのが基本の図式です。しかし、未来について正確な予想を持っていたとしても、望んだ結果が得られるとは限りません。それは、人間の行動が理性や論理で全て決められていると考えている人には理解できないことかも知れません。例えば、現実に良く出くわすことですが、この日は夫婦喧嘩に気を付けなさいと言われていたにもかかわらず、やっぱり一戦やってしまったなんてことはざらにあるわけです。
 人間が完全無欠であれば幸福な人生を送ることでしょう。しかし、何か欠けている所があるために、色々とどたばたすることになるわけです。そして、その欠けている点を指摘することも占星術の仕事です。後はその欠けている点をどうすればよいのかを本人が見い出し努力することになります。ここではどのようにと言う点については、かなり困難だけれども変更可能、つまり運命改善は可能なことだとだけ指摘しておきます。
 勿論、その他にも占星術の機能はあるのですが、体系として完璧とは言えない占星術の技法をより確かなものにするために、過去の事件とチャートを検証し、立てた予想をフィードバックして、新たにチャートを解読するという作業が必要になります。

 しつこくなりますが、この部分の要約です。
 「自分の出生図(生まれたときの星の位置)を解読して運命、運勢を知ったつもりになるだけが占星術ではありません。それは、単に入り口の1つなのです」